小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2021 リトマス試験紙的存在の五輪 人が生き延びるために

「馬の耳に念仏」ということわざは「馬を相手にありがたい念仏をいくら唱えても無駄。いくらよいことを言い聞かせてもまるで理解できないからまともに耳を傾ける気がなく、何の効果もないことのたとえ」あるいは「人の意見や忠告を聞き流すだけで、少しも聞…

2020 ヒヨドリ親子の“食事”光景 厳粛な生への営み 

鵯(ヒヨドリ)の大きな口に鳴きにけり 星野立子 俳句では秋の季語である鵯(ヒヨドリ)。夏の庭でも時折見かける。そのくちばしは大きくて目に付く。それを象徴する場面を見た。親鳥が雛に赤い実を食べさせているところだった。慌ててカメラを取り出し、写…

2019 ブログ移行の試み 2カ月半続いた試行錯誤 

2006年9月から続けていた拙ブログ『小径を行く』を3月限りでストップ、タイトルを『新・小径を行く』に改め再スタートした。サービスサイトをビッグローブ(KDDI系列)運営の「ウェブリブログ」から、はてな社運営の「はてなブログ」に変更したことが…

2018 五輪は滅亡への道か 極度な緊張を強いられる東京

コロナ禍によって世界が混乱に陥っている中、1年延期された東京五輪・パラリンピックの開催が迫ってきた。「安心・安全な大会を目指す」という言葉が開催当事者から繰り返されても、中止を求める声は根強い。作家の沢木耕太郎は、1996年の米アトランタ…

2017 優しい眼差しで紡ぐ言葉 詩人たちとコロナ禍

現代に生きる私たちにとって逃げることができない重い存在は、コロナ禍といっていい。この1年半、この話題が果てしなく続く日常だ。それは詩人にとっても無縁ではなく、最近、手元に届いた詩誌や小詩集にもコロナ禍が描かれている。この厄介な感染症が収束…

2016 「苦しんでいても微笑みを」『今しかない』(2)完

「ユーモアとは、にもかかわらず笑うこと(Humor ist,wenn man trotzdem lacht)」。これはドイツ語のユーモアの定義で、2020年9月6日、88歳で亡くなった上智大名誉教授アルフォンス・デーケンさんの講義で聞いたことがあります。デーケンさんは日本…

2015「笑顔を取り戻そう!」『今しかない』第3号から(1)

長引くコロナ禍によって、世の中から笑顔が消えてしまったようです。日々のニュースは暗い話題ばかりだと感じます。そんな時、『今しかない 笑顔』という小冊子が届きました。友人もボランティアとして運営に協力している埼玉県飯能市の介護老人保健施設・飯…

2014 ベニバナ無惨 謝罪求めるボランティア  

近所の公園の一角にボランティアが管理している小さな花壇がある。そこにはベニバナが数十本植えられていた。それが最近ごっそり抜かれ、花壇の外に放置されているのが見つかった。この行為にボランティアたちが怒り、花荒らしに「謝罪を求める」看板を設置…

2013 地球の気候変動への処方箋? 斎藤幸平著『人新世の「資本論」』

「人新世」(じんしんせい、ひとしんせい=アントロポセン)は、地球の時代を表す名前の一つで、環境破壊などによる危機的な状況を表す言葉として使われる。オゾンホールの研究でノーベル化学賞を受賞したオランダ人化学者、パウル・クルッツェン(1933…

2012 どこを向く新聞社 孤軍奮闘・信濃毎日の社説

新聞各社は東京五輪・パラリンピックについて世論調査を実施し、開催中止や再延期の声が強いことを伝えている。しかし、新聞社自体がコロナ禍での開催についてどのような姿勢なのか、よく分からない。そんな中で長野県の地方紙、信濃毎日新聞(信毎)が「政…

2011 平凡な日常への愛おしさ 1枚の絵が語る真実

コロナ禍によって、全国に初めて出された緊急事態宣言が全面的に解除になったのは、1年前の5月21日だった。当時の日記に私は「第2波は大丈夫か」と書いている。その懸念は当たってしまい、現在は第4波に見舞われている。コロナ禍は人々の日常生活に大…

2010 責任転嫁の時代 「小人は諸(これ)を人に求む」

今、政界である出来事が話題になっています。それは「責任転嫁」という言葉を見事に体現したニュースです。「矜持」とは無縁の動きを見ていてあきれたのは私だけではないでしょう。2019年参院選の買収事件で自民党本部から河井克行被告と案里氏の夫妻側に渡…

2009 歴史に刻まれるミャンマー民衆への弾圧 ゴヤの『1808年5月3日』想起

クーデターによって政権を奪ったミャンマーの軍事政権が、これに反対する市民に容赦なく銃を向け、虐殺を繰り返している。その光景はスペインの画家、フランシスコ・デ・ゴヤ(1746~1828)の『1808年5月3日』(あるいは『1808年5月3日…

2008 世界が問われる力試し『岸恵子自伝』から

「世界を覆うコロナ・ウイルスが世の中をどう変えるのか、人間の力試しが答えを出すのだろう」……これは、女優で作家、国際ジャーナリストの岸恵子さんが自伝『岸恵子自伝 卵を割らなければ、オムレツは食べられない』(岩波書店)の中で、コロナ禍に触れた一…

2007 狂想曲は聴きたくない おーい青空よ!

アメリカからイギリスに移り住んだ詩人、T・S・エリオット(1888~ 1965)の『荒地』という詩は第一次大戦後のヨーロッパの荒廃を描いたものといわれるが、コロナ禍の現代にも通じる。 4月は残酷極まる月だ リラの花を死んだ土から生み出し 追憶に感情をか…

2006 時には夢見ることも…… 藤田嗣治とサティの「出会い」?

CDでエリック・サティ(1866~1925)のピアノ曲作品集「3つのジムノペディ」(ポリドール。ピアノ/パスカル・ロジェ)を聴いた。このCDの解説は俳優で演出家の三谷礼二(1934~1991)が書いている。その中に、第18回東京五輪(19…

2005「命に大小はない」 ワクチン提供に戸惑う五輪代表

「進むも地獄、退くも地獄」という言葉がある。私は好きではない。「前門の虎後門の狼」も同じだ。どっちを選んでもイバラの道なのだ。これでは逃げ場がない、出口がないではないか。せめてどちらかに行けば少しは展望が開けてほしいと思うのが人情だ。だが…

2004 酒がうまいのは二重の不幸か 山頭火は路上飲みの大先輩?

コロナ禍によって緊急事態宣言やまん延防止重点措置が出ている中で、酒の路上飲みがニュースになっている。酒がうまいから居酒屋が営業していなくとも、集団で路上飲みをしてしまうのだろうか。民俗学の柳田國男(1875~1962)は「酒の味が非常に好…

2003 ああ、不元気日本! 続くメーカーの身売りと譲渡

かつて「made in Japan」は、品質に優れた日本製品の代名詞だった。そんな言葉もいつの間にかほとんど聞かれなくなった。日本のメーカーの元気のなさばかりが目に付く昨今だ。音響メーカー「オンキヨー」は、主力のスピーカーやアンプなどの「ホームAV事業」…

2002 五輪が歓迎される時代の終焉 竹ヤリ精神で乗り切れるのか

BS放送で映画『グラディエーター』(ローマ帝国時代の「剣闘士」のこと)を見た。以前にも見たことがある、ローマのコロッセウム(円形劇場=闘技場)で闘う剣闘士を描いた大作だ。既にコロッセウムのことを書いたブログでも紹介しているのでここではその内…

2001 10年以上前にパンデミックを警告「こちらからウイルスを見つけに行け」と

10年以上も前に、新型コロナ感染症の出現を予言するような記事が書かれていた。当時、深く考えずに読み流した。感度が鈍かったのは、私だけではないようだ。《はたして人類を襲う『次のパンデミック』は豚インフルエンザなのか、それとも鳥インフルエンザ…

2000 コロナ禍で沈んだ社会 ブログ「2000回」に寄せて

このブログのタイトルのように私は毎日、遊歩道の小径をのんびりと散歩しています。その折々に様々なことが頭に浮かび、現代の世相のことを考えるのです。この世界は、どこへ行くのかと……。その想念を文字にしたのがこのブログです。2006年9月からスタ…

1999 あるジャーナリストの短い生涯『そして待つことが始まった 京都 横浜 カンボジア』を読む

20世紀は「戦争の世紀」といわれた。第1次に続く第2次世界大戦終結後も、世界の戦火は消えない。このうちアジアが戦場になったベトナム戦争、カンボジア紛争(内戦)では多くの記者たちが命を落とした。この中に共同通信社の石山幸基記者も入っていた。…

1998 新緑の季節がやってきた ブレイク「笑いの歌」とともに

特権をひけらかす テムズ川の流れに沿い 特権をひけらかす 街々を歩きまわり ゆききの人の顔に わたしが見つけるのは 虚弱のしるし 苦悩のしるし (寿岳文章訳『ブレイク詩集』「ロンドン」岩波文庫) この短い詩を書いたのは、イギリスの詩人で画家、銅版画…

1997 新しい夜明けを待つ心 コロナ禍の現代に考える

10年ひと昔という。しかし、世の中の動きが早い現代から見ると、10年前はひと昔どころか、もっと遠い日のことのように思えてならない。こんなことを書くと、2011年3月11日の被災地の皆さん、特に東電福島第一原発事故で故郷を離れざるを得なかっ…

1996 月山で「幸」探し 残雪の絶景の中で

山形の友人が2年ぶりに月山を縦走した、と知らせてきた。残雪が美しい月山の数々の写真を見て、私はカール・プッセ(1872~1918)の「山のあなた」という詩を思い浮かべた。昨年から続くコロナ禍によって社会全体が打ち沈み、爽快感を味わうことが…

1995 88歳の健脚に脱帽 目を見張る思いの池江選手

私の前を一人の高齢の男性が歩いていた。背が高く、やせていて仙人を連想させる。私はいつものように、ポールを使ったウオーキングをしていて、歩き方は速いはずだった。だから、前の高齢者にはすぐに追いつき、追い越すと思っていた。だが、そうはいかなか…

1994 鎮魂の季節は4月 比島に消えた父

鎮魂の季節といえば、8月だ。だが、私にとっての鎮魂の季節は4月なのである。それはなぜか。76年前の4月、日本から海を隔てて約3000キロのフィリピンでは、私の父を含む日本軍の兵士、民間人らおびただしい人々(50万人以上といわれる)が米軍と…

1993 風景との対話 人もまた一本の樹

街路樹のうちけやきが緑の葉を出し始め、目に優しい季節になってきました。近所の体操広場にあるマロニエの木も1本だけ葉が茂ってきています。広場を取り囲むように植えられている30本ほどのマロニエ。この木々の葉が茂り始めますと、ラジオ体操に集まる人…

1992 心和む風景 畑おじいさんからのあいさつ

散歩をしていたら、写真のような掲示をしている家があった。このブログで以前、玄関脇に1坪ほどの田んぼを作り、稲を育てている家があることを書いたことがある。(下段の関連ブログ参照)この掲示は、この家の主が書いたようで、最後には「畑のおじいさん」…