小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2015-09-01から1ヶ月間の記事一覧

1407 垣間見る山頭火の世界 どこからともなく秋の雲

夜が明けても見える月、あるいは明け方まで残っている月のことを「残月」という。朝、西の空を見ると、すじ雲(巻雲)を従えて白くて丸い月が、すすきの彼方に浮かんでいた。一昨日の夜は、だれが名づけたのかスーパームーン(要するに満月)だった。白い残…

1407 垣間見る山頭火の世界 どこからともなく秋の雲

夜が明けても見える月、あるいは明け方まで残っている月のことを「残月」という。朝、西の空を見ると、すじ雲(巻雲)を従えて白くて丸い月が、すすきの彼方に浮かんでいた。一昨日の夜は、だれが名づけたのかスーパームーン(要するに満月)だった。白い残…

1406 勝つためには何でも 昨今相撲雑感

白鵬が休場した大相撲は、やはり気の抜けたビールだった。一人横綱の鶴竜は早々に2敗し、11日目まで全勝だった大関照の富士は、12日目から3連敗し、しかも右膝まで痛めてしまった。日本人力士と言えば、幕内下位で好成績だった勢が上との対戦では負け…

1406 勝つためには何でも 昨今相撲雑感

白鵬が休場した大相撲は、やはり気の抜けたビールだった。一人横綱の鶴竜は早々に2敗し、11日目まで全勝だった大関照の富士は、12日目から3連敗し、しかも右膝まで痛めてしまった。日本人力士と言えば、幕内下位で好成績だった勢が上との対戦では負け…

1405 見えそうな金木犀の香り 開花した秋の花

見えさうな金木犀の香なりけり(津川絵理子) 金木犀が開花した。例年よりかなり早い。辞典には「中国原産で、仲秋のころ葉腋に香りの高い小花を多数つける。橙色の花を開くのが金木犀、白いものは銀木犀という」と出ている。わが家には金木犀が2本、銀木犀…

1405 見えそうな金木犀の香り 開花した秋の花

見えさうな金木犀の香なりけり(津川絵理子) 金木犀が開花した。例年よりかなり早い。辞典には「中国原産で、仲秋のころ葉腋に香りの高い小花を多数つける。橙色の花を開くのが金木犀、白いものは銀木犀という」と出ている。 わが家には金木犀が2本、銀木…

1404 維持してほしい風情ある姿 2つの小さな仏堂

全国に「阿弥陀堂」や「観音堂」「薬師堂」が幾つあるか知らない。だが、人それぞれに、この名称を持つ建物に接したことがあるだろう。2002年の映画『阿弥陀堂だより』に出てきた小さな阿弥陀堂は、味わい深い思いで見たことを覚えている。秋の彼岸の一…

1404 維持してほしい風情ある姿 2つの小さな仏堂

全国に「阿弥陀堂」や「観音堂」「薬師堂」が幾つあるか知らない。だが、人それぞれに、この名称を持つ建物に接したことがあるだろう。2002年の映画『阿弥陀堂だより』に出てきた小さな阿弥陀堂は、味わい深い思いで見たことを覚えている。 秋の彼岸の一…

1403 きょうは子規のへちま忌 「言葉はこの世の屑」なのか

正岡子規は1902年(明治35)9月19日に闘病の末、34歳で亡くなった。113年前のきょうのことだ。糸瓜忌である。子規の死を知った親友、夏目漱石の句と子規最後の句は9月1日のブログで紹介した。明日20日は彼岸の入り、子規の句集を読み直した。子規の句に「一…

1403 きょうは子規のへちま忌 「言葉はこの世の屑」なのか

正岡子規は1902年(明治35)9月19日に闘病の末、34歳で亡くなった。113年前のきょうのことだ。糸瓜忌である。子規の死を知った親友、夏目漱石の句と子規最後の句は9月1日のブログで紹介した。明日20日は彼岸の入り、子規の句集を読み直した。 子規の句に「一…

1402 道義なき現代政治 安保法制に憲政の神様を思う

憲政の神様といわれた政治家がかつて存在した。尾崎行雄(咢堂)である。1912年(大正元)、犬養毅(1932年の5・15事件で暗殺)とともに第一次護憲運動を行い、組閣したばかりの長州閥、桂太郎内閣を総辞職に追い込んだことで知られる硬骨漢であ…

1402 道義なき現代政治 安保法制に憲政の神様を思う

憲政の神様といわれた政治家がかつて存在した。尾崎行雄(咢堂)である。1912年(大正元)、犬養毅(1932年の5・15事件で暗殺)とともに第一次護憲運動を行い、組閣したばかりの長州閥、桂太郎内閣を総辞職に追い込んだことで知られる硬骨漢であ…

1401 白鵬の休場に思う 異文化の中で輝く存在

大相撲で優勝35回という前人未到の記録を打ち立てた横綱白鵬が、秋場所初日から2連敗し、3日目から休場した。2007年夏場所後に横綱に昇進して8年、初めての休場だ。横綱と言えば休場が付き物のようで、白鵬以外の横綱は休場するのが珍しくはない。…

1401 白鵬の休場に思う 異文化の中で輝く存在

大相撲で優勝35回という前人未到の記録を打ち立てた横綱白鵬が、秋場所初日から2連敗し、3日目から休場した。2007年夏場所後に横綱に昇進して8年、初めての休場だ。横綱と言えば休場が付き物のようで、白鵬以外の横綱は休場するのが珍しくはない。 …

1400 大災害で救助された人間と犬 5万年前からの家族

今月10日、北関東を流れる鬼怒川の堤防が茨城県常総市で決壊した。濁流に襲われて街が消える状況を映したテレビ画面は2011年の東日本大震災を想起するものだった。屋根に取り残された年配の夫婦と思われる2人がそれぞれ犬を抱えて、自衛隊のヘリによ…

1400 大災害で救助された人間と犬 5万年前からの家族

今月10日、北関東を流れる鬼怒川の堤防が茨城県常総市で決壊した。濁流に襲われて街が消える状況を映したテレビ画面は2011年の東日本大震災を想起するものだった。屋根に取り残された年配の夫婦と思われる2人がそれぞれ犬を抱えて、自衛隊のヘリによ…

1399 飽食の時代を考える 首相動静とミンダナオの事件

新聞に首相動静という欄がある。そこには首相の前日の動きが掲載されている。ちなみに昨日(8日)の夜の動静は「午後6時53分、東京・内幸町の帝国ホテル着。同ホテル内の宴会場『梅の間』で日本経済新聞社の喜多恒雄会長、岡田直敏社長らと会食。午後8時55分…

1399 飽食の時代を考える 首相動静とミンダナオの事件

新聞に首相動静という欄がある。そこには首相の前日の動きが掲載されている。ちなみに昨日(8日)の夜の動静は「午後6時53分、東京・内幸町の帝国ホテル着。同ホテル内の宴会場『梅の間』で日本経済新聞社の喜多恒雄会長、岡田直敏社長らと会食。午後8時55分…

1398 カッサンドルと亀倉雄策と 五輪のエンブレムをめぐって

白地に赤い太陽と黄金の五輪マークを組み合わせた第18回東京五輪(1964年)の大会シンボルマーク(エンブレムのこと)の制作者、亀倉雄策(1915~1997)はフランス人グラフィックデザイナー、アドルフ・ムーロン・カッサンドル(1901~1968)を尊敬していたと…

1398 カッサンドルと亀倉雄策と 五輪のエンブレムをめぐって

白地に赤い太陽と黄金の五輪マークを組み合わせた第18回東京五輪(1964年)の大会シンボルマーク(エンブレムのこと)の制作者、亀倉雄策(1915~1997)はフランス人グラフィックデザイナー、アドルフ・ムーロン・カッサンドル(1901~1968)を尊敬していたと…

1397 地球の裏側にやってきたペルーの宗教画 藤田嗣治が持ち帰ったクスコ派の作品

日本画の技法を油彩画に取り入れ、エコール・ド・パリの画家として知られている藤田嗣治は1931年南米旅行をした際、ペルーのクスコを訪れている。標高3400メートルの高地にあるクスコはかつてのインカ帝国の首都で、インカ文明の中心地だった。ここ…

1397 地球の裏側にやってきたペルーの宗教画 藤田嗣治が持ち帰ったクスコ派の作品

日本画の技法を油彩画に取り入れ、エコール・ド・パリの画家として知られている藤田嗣治は1931年南米旅行をした際、ペルーのクスコを訪れている。標高3400メートルの高地にあるクスコはかつてのインカ帝国の首都で、インカ文明の中心地だった。ここ…

1396 子規の9月 トチノミ落ちて秋を知る

俳人の正岡子規が亡くなったのは1902年(明治35)9月19日で、白露の末候「玄鳥去る」(つばめさる)のころだ。当時は秋のたけなわだったかもしれないが、現代は残暑厳しいころである。ロンドンに留学中だった親友、夏目漱石に子規の訃報が届いたのはそれか…

1396 子規の9月 トチノミ落ちて秋を知る

俳人の正岡子規が亡くなったのは1902年(明治35)9月19日で、白露の末候「玄鳥去る」(つばめさる)のころだ。当時は秋のたけなわだったかもしれないが、現代は残暑厳しいころである。ロンドンに留学中だった親友、夏目漱石に子規の訃報が届いたのはそれか…