小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2014 ベニバナ無惨 謝罪求めるボランティア  

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 近所の公園の一角にボランティアが管理している小さな花壇がある。そこにはベニバナが数十本植えられていた。それが最近ごっそり抜かれ、花壇の外に放置されているのが見つかった。この行為にボランティアたちが怒り、花荒らしに「謝罪を求める」看板を設置した。コロナ禍で世の中全体がギスギスしている、現代を象徴するような「事件」といえる。

  ベニバナはキク科の1年草~2年草で、6~8月にかけて紅黄色のアザミに似た花が咲く。原産はエジプトやヨーロッパ、あるいはアジアという説がある。古代のエジプト王の墓にはベニバナとヒナゲシが見つかっており、歴史がある花なのだ。日本には3~4世紀ごろに渡来し、染料や薬用として栽培されてきた。「みちのくに来て居る証紅の花」(森田峠)の句のように山形では栽培が盛んで、県花に指定されている。

  私は散歩の際、時々この公園に行き、花壇の花を愛でるのを楽しみの一つにしていた。きょうも花壇を見に行くと、驚くような内容の看板が立っていた。そこには以下の文章と抜き取られて花壇のわきに置かれたベニバナの写真が張られていた。

「謝罪を求めます 私たちが丹誠込めて育てていたベニバナが全て抜かれてしまいました。誰がこんなことをするのでしょうか。よほどベニバナが嫌いなのか、私たちの活動が気に入らないのでしょうか。いずれにせよこの行為は許されません。謝罪を求めます。抜き取りの現場を見た方も情報をお寄せください」

 昔から「花泥棒」あるいは「花盗人」という言葉がある。後者は室町時代から使われているという。「花盗人」は罪にならないともいわれ、「花盗人は風流のうち」という言葉がある。東京堂出版の『故事ことわざ辞典』には「桜の花の美しさにひかれて、つい一枝無断で失敬するのは風流心によるものだから、盗みとしてとがめるのは酷であるという意。藤原公任の『われが名は花盗人と立てば立てただ一枝は折りて帰らん』なども、それと通ずる風流である」と、出ている。

 しかし、この花壇のベニバナの被害は「花盗人」のつい一枝というイメージではなく、「花強盗」という造語が似合う、荒々しくて下品な行為であり、ボランティアが怒るのも無理もない。

  昨年から続くコロナ禍によって、人出の多い場所へ出かけることを自粛する一方で、自宅周辺を散歩する人が増えているようだ。私の散歩コースも散歩やジョギングをする人たちの姿が以前より多くなっている。荒らされた花壇がある公園も、コロナ以前より人影が目に付く。そんな中でのベニバナへのひどい仕打ち。いたずらなのか、イライラが募りこんな行動に走ってしまったのか……。ボランティアの怒りに対し、犯人はどう思うのか。暗い気分で家に帰ったら、友人から『今しかない 笑顔』という小冊子が届いた。コロナ禍によって、笑顔を失った人は少なくない。私も笑顔を取り戻したい。

(『今しかない 笑顔』については、次回に書く予定です)

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