小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2006 時には夢見ることも…… 藤田嗣治とサティの「出会い」?

 CDでエリック・サティ(1866~1925)のピアノ曲作品集「3つのジムノペディ」(ポリドール。ピアノ/パスカル・ロジェ)を聴いた。このCDの解説は俳優で演出家の三谷礼二(1934~1991)が書いている。その中に、第18回東京五輪(1964年)の大会シンボルマーク(エンブレムのこと)を制作したグラフィックデザイナー亀倉雄策(1915~1997)に関する面白いエピソードが盛り込まれていた。

  東京大会のシンボルマークのことは以前のブログで書いている。ここでは詳細は割愛するが、白地に赤い太陽と黄金の五輪マークを組み合わせたものだ。三谷によると、亀倉は雑誌に画家の藤田嗣治とサティにまつわる一文を寄せたことがある。亀倉は藤田が「屋根の上の牛」という有名な酒場のピアノ弾きだった貧乏な作曲家サティにチップをあげたというエピソードを書いたのだが、専門家から間違いだと指摘されたそうだ。それでも亀倉は「この随筆を音楽史どおりに直さない方がよいと思う」と続けたというのだ。

  調べてみると、亀倉のこの文章は1981年3月10日発行の音楽雑誌『音楽の手帖 サティ』(青土社)に寄稿した「「サティにチップをはずんだ嗣治」という一文だった。藤田は1913年からパリに住み、1920年代にはエコールド・パリ(モンマルトルやモンパルナスで創作活動をした外国人画家たちのこと)の一人として画壇の寵児となる。音楽界の異端児といわれたサティと藤田に接点があったのかどうかは分からない。しかし、亀倉は2人に接点があったら面白いと思い、随筆に盛り込んだのかもしれない。

  これについて三谷は「音楽史は、時に音楽について夢見るためのものであって、必ずしも音楽の正確な事実について証明するだけのものではない。サティの実像を知ることも楽しいが、サティの実像について夢見ることはもっと楽しい」と解説に書いている。サティの音楽はいわゆる「家具の音楽」「環境音楽」の先駆といわれ、演奏会場で演奏されるより生活空間の中でBGMのように流されるのが一番合っているそうだ。コロナ禍の日々。繰り返しが多いメロディは、ささくれ立つ気持ちを抑えてくれるようだ。

  このCDには入っていないが、『クラシックの快楽』(洋泉社)によると、1893年作曲の『ヴェクサシオン』というピアノ曲は、楽譜がわずか1ページの小品だ。ところが、最初の部分に何とこれを840回繰り返せという指示が書かれているという。その通りに演奏すると18時間以上かかってしまう。1963年にブロードウェイの劇場でこの作品の初演があったが、これを報じた新聞記事には以下のような光景が描かれていた。サティの世界はユニークなのだ。

《梨やパイを食べている聴衆もいた。本を読んだり手紙を書いたりしている者もあれば、写真をとっている者もあり、人々は出たりはいったりしていた。時々単調さを破るのは弾き間違いのおかしな音であった。(中略)夜が明けるころには街の騒音がホールに飛び込んできた」(ちなみに、この演奏会の入場料は5ドルであり、20分我慢して聴く毎に5セント、全部聴き通すとさらに20セントの「ごほうび」が与えられた)》

1398 カッサンドルと亀倉雄策と 五輪のエンブレムをめぐって