小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2107 人は何で生きるか 天才少女の挫折とトルストイ

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 ロシアの文豪、レフ・トルストイの短編『人は何で生きるか』(中村白葉訳・新潮社『世界名作選』は、民話を通じて、人の生き方を描いたものだ。ドーピング疑惑の中で出場し、暫定4位に終わった女子フィギュアのロシア、カミラ・ワリエワ(15)の騒ぎを見ていて、ついこの民話を思い出し、読み返した。そこには興味あることが書かれていた。

 この短編は、以下のような内容だ。貧しい靴職人セミョーンは、秋になるとコツコツ貯めた少ない金を持って毛皮の外套を買いに村へと出かける。途中、靴の修理代金を農民からもらって、足しにしようと思った。しかし、返したもらった金は少なく、仕方なく彼は外套を買わずにウオッカを飲んで家路につく。その途中、礼拝堂の後ろに裸の若い男がいるのを見つけ上衣を着せ、靴をはかせて自宅へ連れ帰る。妻のマトリョーナは若い男を追い出そうとするが、思いとどまり、食事を与える。男はミハイルと名乗り、セミョーンに教えられて靴職人として仕事をする。この後、セミョーンのところに靴を注文に偉そうな旦那、双子の女の子を連れた女がやってくる。この人物たちと出会うことで、ミハイルが神様から3つの言葉の意味を調べて来いといわれてやってきた天使であることが分かる。

 その3つの命題とは①人間の中にあるものは何か②人間に与えられていないものは何か③人間は何で生きるのか―—である。ミハイルは靴屋一家とともに生活することで答えを見つけ、天国へと帰っていく。では、その答えはどんなものだろう。

 ①人間の中にあるものは愛である②人間には知る力が与えられていない③すべての人は自分のことだけ考えて生きているのではない、愛によって生きている――ということだった。3つの命題の答えを北京五輪フィギュアの15歳の天才少女のドーピング疑惑をめぐる大人たちに当てはめてみると、残念ながらすべてノーではないか。

 エテリ・トゥトベリーゼというコーチは、満足な演技ができずに戻ってきた失意のワリエワに向かって「なぜ諦めたの? なぜ戦いをやめたの? 説明して」と容赦ない言葉を浴びせたという。どう見てもトルストイの民話とは縁遠い姿だ。これが人類愛をモットーとした文豪を生んだ国の人とは思えない。

 きょうは近所の公園から見る富士山が美しかった。富士山を見ていると、爽やかさを求めるスポーツの世界の暗部をのぞいてしまった、もやもやとして気持が薄れていくようだった。

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 1637 敵意を持った人間の息は トルストイの民話から