小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2098 『ラルゴ』・幅広くゆるやかに ピアニスト反田さんの願い

    

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『神よ、ポーランドをお守りください』。ポーランドの人々は幾世紀にもわたって、このような祈りを教会でキリストにささげたに違いない。同じ言葉を私たち日本人は、神にささげたことがあるのだろうか。それは別にしてポーランドはこれまで大国によって侵略され、国民は長い間苦汁をなめ続けた。20世紀。ナチスドイツの侵攻とユダヤ人の虐殺、ソ連支配下の1党独裁・監視社会、民主化への激しい闘争は近現代史に色濃く残っている。それだけに、ショパン(1810~1849)作曲の「聖歌」として、敬虔な祈りを込めた『ラルゴ』は、聴く者の心に響く。2021年のショパン国際コンクール。2位になった反田(そりた)恭平さんは3次予選の中でこの曲を弾き、大きな反響を呼んだ。

 手元にある青澤唯夫著『ショパン――優雅なる激情』(芸術現代社)の作品紹介には、この曲が以下のように出ている。

《『ラルゴ変ホ長調』(遺作)》1937年作とする説が有力だが、疑念もなくはない。「パリ、7月6日」と記されているのに、1837年の7月初めにはショパンはパリにいなかったからである。そうするとショパンがパリにいた1834年あたりが可能性として浮かびあがってくる。作品28のプレリュードのために試作され、のちに破棄されたものではないかという推測もある。コラールふうの荘重な曲で、作品28の20のハ短調とよく似た曲想をもっている(以下、略》

 最近の研究によると、ポーランドでは1825年頃からミサの最後に「神よ、ポーランドをお守りください」を歌う習慣があり、少年だったショパンはその旋律を覚えていて、後にパリでこの曲を作曲したといわれる。楽譜が発見されたのは20世紀に入ってからの1938年で、同年出版されたが、ほとんど知られていないという。

 今回のショパンコンクールに出場した反田さん(ポーランドショパン国立音楽大学に留学中)ほか何人かの日本人を追ったNHKの特集番組を見た。この中で反田さんは、この曲との出会いとコンクールで演奏曲目に加えた経緯を話していた。

ポーランドの聖十字架教会の前で座ったベンチのボタンを押したら、この曲が流れてきたのです。へえーこんな素敵な曲があるんだ。留学しなければ知らなかったし、出会わなかったでしょう。(コンクールで演奏曲目に入れたのは)コロナでパンデミックになっちゃったし、いろいろな感情を世の中の人たちがこの1年持っていたので、この時期にぴったりの作品だと思ったのです」 

 こんな出会いをした反田さんは、第3次予選の『英雄』など4つの演奏曲目の3番目に『ラルゴ』を加えた。そしてファイナルに進み、『ピアノ協奏曲第1番』を演奏し第2位になった。

『神よ、地球をお守りください』。新型コロナが依然猛威を振るう世界。このような祈りは世界でささげられているに違いない。「ラルゴ」は音楽用語の速度記号の一つ。イタリア語で「幅広くゆるやかに」という意味があるそうだ。これこそ、コロナ禍の現代に求められている精神と言えるように思える。ラルゴが使われている曲としては、ヘンデル『オンブラマイフ』、ヴィヴァルディ・ヴァイオリン奏曲『四季』の「冬」第2楽章、ドヴォルザーク交響曲第9番新世界より』の第2楽章――がよく知られている。