小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2009 歴史に刻まれるミャンマー民衆への弾圧 ゴヤの『1808年5月3日』想起

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  クーデターによって政権を奪ったミャンマーの軍事政権が、これに反対する市民に容赦なく銃を向け、虐殺を繰り返している。その光景はスペインの画家、フランシスコ・デ・ゴヤ(1746~1828)の『1808年5月3日』(あるいは『1808年5月3日の銃殺』)を連想させる、忌むべきものだ。ミャンマーに平和という国際社会の声は、軍事政権には届かないのだろうか。

  ゴヤの絵は、スペイン・マドリードプラド美術館に展示されている、スペイン独立戦争当時のフランス軍による惨劇をテーマにした油彩画(268センチ×347センチ)だ。ナポレオン率いるフランス軍は1807年スペインに侵攻し、翌08年にはナポレオンの兄ジョゼフがホセ一世としてスペイン王になった。この年から14年にかけてスペインの民衆はフランスからの解放を目指して独立戦争を続ける。08年5月3日にはマドリードで蜂起した市民をフランス軍が鎮圧し、反乱に加担した400人をプラド通り、ピオの丘など各所で銃殺した。多くの人々の命を奪った銃声は、真夜中のマドリードの街中に響いたという。

  既に聴力を失っていたゴヤは翌朝、処刑があった場所に出向き、累々と横たわる死体を目にし、1814年になって後世に残るこの絵を描いた。プラド美術館発行の「名作100選」は「午前中、フランス軍を襲った民衆はいまや銃殺される側となり、手前に見える既に処刑された者、突き付けられた銃に恐怖し慈悲を乞う者、諦めの表情を呈する者、絶望する者と、様々な表情が交錯する。そしてこれから処刑される人々の列が背景にある町の重厚な門へと続いている。街燈の強い光が冷たく湿った夜気を感じさせ、寂しく暗い荒地に展開されるぞっとするような死の光景を照らし出している」と、解説している。この絵の中央には、両手を挙げた白シャツ姿の男が描かれている。その姿は、十字架に磔になったキリストのように私は見える。

  ゴヤは40歳で国王付きの画家となり、40歳代でスペイン最高の画家として遇される。しかし、突然難聴となり、音のない世界に生きることになる。それでも制作意欲は衰えることなく、代表作といわれる作品群(この絵のほか『カルロス4世の家族』、『着衣のマハ』、『裸のマハ』、『巨人』など)は聴力を失って以後の後半生に描かれた。マドリード市民の悲しみの歴史、戦争の愚かさを描いたこの絵は、プラド美術館の奥まった部屋に展示されている。スペインの後輩画家、パブロ・ピカソに影響を与えたといわれ、123年後の1937年、ピカソは『ゲルニカ』を完成させる。

  それから80数年、東南アジアのミャンマーでは軍事政権が復活。市民だけでなく批判的なメディアや記者への規制、弾圧を強めており、4月にヤンゴンで拘束された日本人記者、北角裕樹さん(45)は、ようやく14日に解放され、帰国した。ミャンマーの北西部チン州では、国軍が市民を「人間の盾」に使い、地元市民の武装組織を退散させたという報道もある。抵抗勢力を撲滅するためには手段を選ばない国軍のこうした姿は、悪しき歴史として後世へと刻まれるに違いない。       

      

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 写真1、バラの季節になった。散歩をしていると、美しいバラに出会う。2、ゴヤの『1808年5月3日』(プラド美術館 名作100選より)

 1985「不正のない国で暮らしたい」ミャンマー・デモ参加の女性に学ぶ