小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2018 五輪は滅亡への道か 極度な緊張を強いられる東京

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 コロナ禍によって世界が混乱に陥っている中、1年延期された東京五輪パラリンピックの開催が迫ってきた。「安心・安全な大会を目指す」という言葉が開催当事者から繰り返されても、中止を求める声は根強い。作家の沢木耕太郎は、1996年の米アトランタ五輪をテーマにした『オリンピア1996 冠(コロナ)〈廃墟の光〉』(新潮文庫)で、「アトランタ五輪は五輪の滅びの道の始まり」と書いている。言うまでもなく、五輪の商業化=国際オリンピック委員会IOC)が米テレビ局NBCと結んだ巨額の放映権料を最優先にした、卑屈な姿勢がこの背景にある。そして、これまでの東京大会をめぐる数々の不祥事、不手際というゴタゴタぶりを見ていると、五輪は確実に滅亡への道を走り続けていると言わざるを得ない。

 アトランタ五輪といえば、オリンピック公園の屋外コンサート会場で大会7日目の7月27日午前1時20分ごろ(現地時間)爆破テロが発生した。ミュンヘン五輪事件(注1)とともに、五輪の負の歴史になっている爆破テロにより会場にいた2人が死亡し、111人が重軽傷を負った。爆発前に不審なバックを発見した警備員のリチャード・ジュエルさんは、周辺の人たちに離れるよう指示し、多くの命を救ったとして、メディアから英雄的扱いをされた。

 しかし早期の犯人逮捕ができなかった連邦捜査局FBI)は、ジュエルさんを有力容疑者として捜査の対象にした。それを報道機関にリークし、各報道機関はこぞってジュエルさん犯人説を報じ、周辺を徹底して嗅ぎまわる。この2年前に日本で起きた松本サリン事件(1994年6月)の河野義行さんと同様の扱いを受けた、メディアスクラム(注2)だ。

 結局、ジュエルさんは事件とは無関係と判明、FBIは元アメリカ陸軍兵士で爆弾に詳しいキリスト教原理主義者の男を容疑者として指名手配。男は2003年に逮捕され、裁判で終身刑となり、コロラド州の刑務所で服役している。沢木はこの本の中で、FBIがジュエルさんを有力容疑者としてリークした理由を「アトランタを覆う祭りを成功させるために、彼を生け贄の羊として祭壇に捧げたのだ」と書いている。ジュエルさん犯人説の報道によって、一般の観光客は既に犯人が逮捕されたと思い込み、アトランタに安心してやってくる、というわけだ。FBIは五輪というお祭りを盛り上げるためにジュエルさんを犠牲にした、というのである。

 この事件を基にしたクリント・イーストウッド監督の映画『リチャード・ジュエル』が昨年1月に公開された。私はこの映画を見落とし、最近になってネットフリックスで見た。事件を丁寧になぞった展開で、腕利きの弁護士とネタを取るためには何でもやるという女性記者の存在はいかにも映画的だが、淡白な映画を盛り上げていることに間違いはない。捜査に協力的だったジュエルさんがFBI捜査官と対決するシーンの最後の言葉が胸に迫った。「僕に対して根拠はあるのか、つまり証拠です。あの晩僕が仕事をしたから生きている人たちがいる。でも、次に警備員が不審な荷物を見つけたらその人は通報するだろうか。疑わしい。きっとこう思うはずだ。ジュエルの二の舞はご免だ、逃げようと。……誰も安全ではなくなる。(中略)僕を罪に問う証拠はあるのか?……どうだ」。捜査官はこの問いにまともに答えることができない。

 沢木は本の「あとがきⅢ」で「もし、(東京大会が)開催されたとしたら、さまざまな困難が待ち受けることになるだろう。東京は、極度な緊張を強いられる都市になる。そのとき、思いがけない事件が起き、予想もしなかった展開になり、信じられないようなパニックが生まれかねない。そして、そのパニックを抑えるため、誰かが、あるいは何かが、スケープゴートとして祭り上げられてしまうという可能性もないではないのだ」と、東京大会の開催に厳しい見通しを書いている。現実を直視すれば、コロナ禍が収束に至らない段階での開催は、東京を緊張感に包まれた危険な都市にしてしまうだろう。そして、第二のリチャード・ジュエルも……。この不安が的中しないことを願うばかりである。

 英誌エコノミストはこのほど世界で最も住みやすい都市の2021年版ランキングを発表、東京が5位に入った。本当かと思う。大阪は何と2位だ。驚きだ。トップはニュージーランド(NZ)のオークランド。このほかのトップ10をNZとオーストラリア、スイスの都市が占めたのは当然だとしても、大坂、東京のトップ10入りはやはり違和感がある。これでは、コロナ問題で後手後手の対策しかできなかった日本の政治家たちが図に乗ってしまうのではないか。

  注1、ミュンヘン五輪事件 1972年9月5日西ドイツ=現在のドイツ=ミュンヘン大会でパレスチナ武装組織黒い九月が起こしたテロ。イスラエルのアスリート11人が殺害された。

 注2、メディアスクラム 事件や事故が起きた際、被害者や容疑者とその関係者に多くの取材陣が押し寄せ、過熱した報道をすること。行き過ぎた取材行動によって取材対象者のプライバシーを侵害し苦痛を与える。さらに、無関係な一般市民にも影響が及ぶ場合がある。