小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2016 「苦しんでいても微笑みを」『今しかない』(2)完

             

「ユーモアとは、にもかかわらず笑うこと(Humor ist,wenn man trotzdem lacht)」。これはドイツ語のユーモアの定義で、2020年9月6日、88歳で亡くなった上智大名誉教授アルフォンス・デーケンさんの講義で聞いたことがあります。デーケンさんは日本で半生を過ごした「死生学」で知られるドイツ人哲学者で、この言葉は「私は今苦しんでいる。それにもかかわらず、相手に対する思いやりとして笑顔を見せます(微笑みます)」という意味だそうです。コロナ禍の現代だからこそ、この精神が求められているのかもしれません。

  前回に続き、小冊子『今しかない』第3号「笑顔」を要約して掲載します。今回は「笑顔特集」その他です。

 「笑顔」

 ※この度天本先生(ボランティアとしてハーモニカ演奏を続けている天本淳司さん)が収録された(DVDの)ハーモニカを母と拝聴しました。合わせて上手に歌う母に、こんな曲も知っているんだと驚くとともに大変うれしく感じました。私はお風呂で母の背中を流している時に一番幸せを感じます。これからも「今私にできること」を大切に、一日でも長く母の背中を流してあげられるよう日々大切に過ごしていきたい。

  ※ある日突然歩けなくなりました。声も出ない、文字が書けない、隣にある物が取れない、まるで赤ん坊です。人生がなくなったのです。しかし、ここでお世話になり、リハビリを教えていただき、だんだんと元の身体が戻ってきたので、職員の方々に感謝するばかりです。以前やっていた野菜作りがしたい、これが今の目標です。

  ※コロナがすべてを変えてしまった日常に笑顔を届けたい。「笑う門には福来る」ということわざがありますが、コロナ禍でも大笑いしたいな、アハハハハと。いつまで続くのかコロナ、笑いがなくさみしいです。世界中にコロナウイルスが流行するとは想像もしませんでした。楽しみだったサークルや行事もすべて中止になり、語り合うことや笑い合うことが少なくなりました。家ごもりも数カ月続くと、それに慣れてきて生活のリズムが変わり、慣れとはすごいことだと思います。のんびりと過ごすことは自然に笑顔が生れるもの。「ひなたぼっこ」してもうれしい、おいしいものを食べてもうますぎると笑えます。笑顔をたやさない日常がほしい。みんなで助け合い、一日も早いコロナの収束を願っています。

  ※40年も前のこと、おじ達を名所に案内することになった。「いやぁたいしたもんだねー」「そだねー、内地の人は車のマナーもいいっしょ」明るくひょうきんなおじ達の言葉で車の中は花が咲いたよう。悲しい時なのに笑顔でいられた。父の葬儀に駆けつけてくれたおじ達と、こんなよい時を過ごせたのは、父や母のおかげです。

  ※笑顔の俳句

 大あくび所在なげなる梅雨の犬

 おかっぱに花びら一つ止まりけり

 老眼鏡取れば小さしてんとう虫

 「今しかないを読んで」

 ※いつも温かいお心のこの小冊子も皆様の肉声が拝読でき、本当にありがとうございます。

  ※人の思い出は十人十色。皆さん良い思い出をお持ちですね。心が和みました。私は6歳からここでお世話になるまでの歳月は忍一文字がほとんどでしたから、冊子にあった「感謝」2文字を胸に刻んでお世話になりたいと思います。まさしく「今しかない」ですね。ありがとうございました。

  ※良くできていました。涙が出ました。昔のことを思い出しました。

  ※良かったです。涙が出ました。

  ※戦争中のことなどを思い出しました。涙が出ました。

  ※作者の気持ちがよく伝わりました。

  ※ありがとうとごめんなさいは、早く言った方がいいよとの母の教えでした。いろんな表現で感謝の心は伝えられる、冊子を読むとまた一段と思いは深くなると感じました。ハーモニカの先生に見守られていることを実感された90歳の女性の方のういういしい表情が浮かび、優しいまなざしで接していらっしゃる方々に感謝です。

  ※飾らない心が伝わってきました。言葉たちが温かく、ずっと読んでいたいけど、そうすると涙が出てきそうで……。一旦本を閉じたりして、言葉を大事に追いました。この本に出会えてうれしいです。挿し絵も大好きです。

  ※ほんのりとあたたかく「今しかない」は心のぬくもりを感じます。それはその時その場所における真実が書かれているからだと思います。それぞれの長い人生における心に残ったことが真実でなくて何でしょうか。発表された方も本当のことを書きたくて待っていたように思います。

 「今だから話せる一言」

 ※私は戦前生まれで、大病をして今日まで長生きしていますが、数多くの言葉の中の一文字が頭にあります。それは「信」という文字です。信実、信念、信義、信賞必罰等、他にもありますが、(「信」という文字を)肝に銘じて生活している者です。信実と誠実なしでは世の中は渡って行けないと思いますが、どうでしょうか。

(注・「信実」と「真実」の違い。「信実」は偽りがなく誠実なこと。人物に対して使う。「真実」は間違っていない正しいこと。事象に対して使う)

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 冒頭に記した言葉はデーケンさんがよく口にしたそうです。「自分が苦しい状況に置かれていても、相手を喜ばせようと微笑みかける心遣いが真のユーモアだ」という訴えに、改めて耳を傾けたいと思うこのごろです。