小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2092 4年ぶりの天からの便り 通学路に広がる樹氷

 

     

 雪国に住む人たちにとって雪は珍しくないし、降り方によっては災害を引き起こす厄介な存在だ。かつて札幌での生活を体験し、雪は鬱陶しいと思うことが多かった。だが、雪がほとんど降らない地域に住んでいると、雪国の生活が懐かしくなったりする。昨日、南岸低気圧の影響で首都圏に雪が降った。久しぶりに見る白銀の世界は新鮮に映った。

 測ってみると、積雪は約10センチだった。これは2018年1月22日以来であり、この地域では「大雪」といっていい。日記をみると、それ以前は2014年2月8日から9日にかけての大雪で、私の自宅のある千葉市の観測地点で1966年の統計開始以来最大の32センチの積雪(わが家では35センチ)を記録した。その前は2013年1月14日の10センチが記憶に残る積雪だった。

「雪は天から送られた手紙である」。雪の研究で知られる物理学者、中谷宇吉郎の言葉だ。コロナ禍の第6波が濃厚となった現在、天からの便りは何を語ろうとしているのかと、思う。沖縄をはじめ在日米軍基地周辺で新型コロナ・オミクロン株による感染が急拡大し、沖縄、山口、広島でまん延防止等重点措置が適用されることになった。米軍基地内は日米地位協定といういわば治外法権の世界。在日米軍の杜撰な感染対策が結果的に基地外に感染が爆発的に拡大することにつながってしまった。したたかなウイルスとの闘いは、まだ終わりが見えない。

 そんな中での大雪。そして、今朝は氷点下3度を記録し、街路樹のけやきに樹氷ができた。樹氷は木の枝あるいは木全体に氷が付着したものの総称だ。透明な粗氷となったり、霧の小滴が真っ白に凍ったりする霧氷もある。子どもたちの通学路に展開した樹氷は降った雪が枝に付着し、そのまま凍って朝を迎えた。凍った道をスキップしている子、雪を握って雪合戦をする子、3人肩を並べて寒そうに歩く低学年の子らもいる。目の不自由な子は、お母さんと手をつないで歩いている。樹氷は手を広げるような姿で、これらの雪景色を楽しむ子どもたちを見送っている。

 散歩コースの調整池も、今朝はいつもと様子が違っていた。冬枯れの森は白く輝き、池の水も陽光が反射してキラキラ光っている。その光景に魅せられたのか、三脚を据えて写真撮影を頑張る高齢の人もいた。登校する子どもたちの元気な声が聞こえてくる。1月7日、季節は小寒。これから大寒を経て立春へと向かう。ことしは希望の春になるのだろうか。そうなってほしいと願うのは、私だけではないはずだ。

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