小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2010 責任転嫁の時代 「小人は諸(これ)を人に求む」

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  今、政界である出来事が話題になっています。それは「責任転嫁」という言葉を見事に体現したニュースです。「矜持」とは無縁の動きを見ていてあきれたのは私だけではないでしょう。2019年参院選の買収事件で自民党本部から河井克行被告と案里氏の夫妻側に渡った1億5千万円の資金拠出について、自民党二階俊博幹事長と当時の選対委員長である甘利明氏がそれぞれ責任を回避する発言をしたからです。

  報道によると、案里元議員は当時の安倍晋三首相(党総裁)や菅義偉官房長官(現首相)の支援を受けて当選したのですが、裁判で有罪が確定し、当選無効(判決確定直前に議員辞職)となりました。1億5千万円について17日に二階氏は「支出された当時私は関係していない」と発言。同席した林幹雄幹事長代理が「当時の選挙対策委員長(甘利氏)が広島に関しては担当していた」と説明しました。18日の記者会見でも二階氏は「党全般の責任は私にある」としつつ「個別選挙区の戦略や支援方針はそれぞれの担当で行っている」と改めて説明。ここでも林幹事長代理が発言し、記者団に「根掘り葉掘り党の内部のことまで踏み込まないでもらいたい」と、見当外れの脅しをかけたのです。

  一方の甘利氏といえば、記者団に「1ミリもかかわっていない。もっと正確に言えば1ミクロンも関わっていない」と言い切り、かかわりを否定したというのです。林氏の発言を見当外れと書いたのは、1億5千万円のうち1億2千万円は政党助成金という国民の税金だったからです。大事な税金を使った以上、説明責任が生じるのは当然なことで、二階氏、甘利氏、林氏の言動は無責任そのものといえるでしょう。

 上述の自民党の幹部は、立場から言うと一応リーダー的存在なのでしょう。昨今は、というよりもこの世界は私も含めて「自分に甘く、他人に厳しく」の姿勢の人が多いのが現実です。しかし、政治のリーダーたる立場にいる人物は国民から不信感を持たれるような言動は慎まなければならないのは言うまでもありません。二階氏、甘利氏に加え安倍前首相、菅首相の4人にはこの問題に関し国民に詳しく説明する義務があると私は思うのです。

 責任といえば、大村秀章愛知県知事へのリコール署名偽造事件で、運動団体の事務局長で元愛知県議の田中孝博容疑者と妻、次男らが地方自治法違反(署名偽造)の疑いで愛知県警に逮捕されました。有権者の署名をアルバイトを使って偽造したという容疑です。このリコール運動団体の会長は美容外科高須クリニック高須克弥院長で、河村たかし名古屋市長も運動の有力な支援者でした。2人は事件への関与を全面否定していますが、このような民主主義を根底から揺るがす事件に発展した責任をどう取るつもりなのでしょうか。

  近くに『論語』(加地 伸行著・講談社学術文庫)の文庫本がありました。パラパラと頁をめくっていましたら「責任」に関する2つの言葉が出ていました。参考になりますね。

「子曰く、君子は諸(これ)を己に求め、小人は諸を人に求む」(衛霊公21)=立派な人(あるいは素晴らしい人やリーダー)は何事でも自分で責任を取るが、小人(器の小さなつまらない人)は責任を他人のせいにする(ブログ筆者意訳)。

「子曰く、躬(み)自ら厚くして、薄く人を責むれば、則(すなわ)ち怨みも遠ざかる」(衛霊公15)=自分の責任を問うことは厳しくし他者に対して穏やかにすれば、人から怨まれることはなくなるだろう(同)。