小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1997 新しい夜明けを待つ心 コロナ禍の現代に考える

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 10年ひと昔という。しかし、世の中の動きが早い現代から見ると、10年前はひと昔どころか、もっと遠い日のことのように思えてならない。こんなことを書くと、2011年3月11日の被災地の皆さん、特に東電福島第一原発事故で故郷を離れざるを得なかった皆さんに、怒られるだろう。

 先日、政府は福島原発の処理水(実際には汚染水)を2年後に海洋投棄することを決めた。この内閣、菅首相は秋田、平沢復興相は福島と縁が深いはずだが、この決定は福島の人たちをさらに苦しめることになることを知った上での判断だったのだろうか。

 原発の処理水に関しては様々な資料があり、特に問題になっているトリチウムの残存が福島沖での漁業に「風評被害」を与えると懸念されている。海洋にトリチウムを含む処理水を排出している中国、韓国なのに日本政府の決定に対し、直ちに厳しい反応を示したことは、この問題に暗雲を投げかけるものだと思われる。

 私は原発事故が今も尾を引く福島で生まれ育った。緑に包まれ、自然の恩恵が際立つ福島にはきょうだいだけでなく、多くの友人、知人が暮らしている。それだけに、今回の政府決定は、驚きと同時に怒りがこみ上げるのだ。何より、福島の現地の人たちに、納得がいく説明をしたとは思えないからだ。

 10年前、私は東北の被災地を歩いた。福島、宮城、岩手の3県で多くの人に出会い、話を聞いた。それをまとめた文章には希望を込めて、以下のようなことを書いた。

《夜明けは必ずやってくる。どんな絶望的状況にあっても、新しい朝がきて私たちに生きていることを実感させてくれる。大震災は将来に希望が持てず、救いようがない「世も末」という時代を再現した。被災地の人々は何度もこの言葉が頭をよぎったかもしれない。宮城県の新聞、河北新報気仙沼総局長は震災翌朝の光景を「白々と悪夢の夜は明けた。湾内の空を赤々と染めた火柱は消えていたが、太陽の下にその悪夢の景色はやはりあった」と書いた。

 それは、この世の現実だったのだ。そうした絶望で折れそうになる被災者たちの心を支えたのは国内外からの支援であり、ボランティアたちの行動力だった。江戸時代から日本には「旅は道連れ世は情け(旅には連れがある方が心強いように、この世の中を生きていくには互いに支え合う人情が大切という意味)という言葉があった。現代の「絆」と共通するもので、ボランティアたちによって培われた絆の力は、被災地に新しい「夜明け」をもたらしたのだと思う。》

 あれから10年。コロナ禍で揺れる現代。新しい夜明けは、希望が持てる一日になってほしいと願うこのごろだ。それを左右するのは、政治のリーダーの力量だ。菅首相にはそれがあるのかどうか……。

 写真 既にライラックが咲いた。やはり、季節の移ろいは早い。