小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2015「笑顔を取り戻そう!」『今しかない』第3号から(1)

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 長引くコロナ禍によって、世の中から笑顔が消えてしまったようです。日々のニュースは暗い話題ばかりだと感じます。そんな時、『今しかない 笑顔』という小冊子が届きました。友人もボランティアとして運営に協力している埼玉県飯能市の介護老人保健施設・飯能ケアセンター楠苑・石楠花の会発行の第3号(44頁)です。冊子発行の代表者・齋藤八重子さんは「一生けん命に生きている人の顔は美しい。笑顔の人はもっと美しい」と書いています。コロナ禍が収束し人々が笑顔を取り戻すことを願いながら、冊子に目を通しました。

 今回は子どものころの思い出に続き、特集として「笑顔」に関する短い文(俳句も)が載っています。いずれもが激動の昭和に生きたことを思い起こさせる話です。2回にわたって主な文章を要約して紹介します。(筆者名は割愛)

「思い出 子どものころ」

 ※子どものころ焚火をしていた近所のおじさんが「寒かんべー、あったまってけ」と声かけてくれた。「ついでにこれも食ってけ」と。筍の皮をむき、その中に梅干しを挟んで口に入れ、チュー、チューと吸うと竹の香りがして美味しかった。おじさんに会うのが楽しみだった。昔はご近所さんが親戚のようだった。いつの間にかご近所さんとの縁は薄れ、地域との交流もなく寂しい世の中になった。私もあと何年か後にはあのおじさんのような、地域の「名物ばあちゃん」になりたいと思っています。

 ※東京都東長崎で生まれ、富士山も見えて環境もよかったのです。6年生から戦争が始まり、勉強どころじゃなく働いていました。そのなかでも友達と仲よくすごしました。飯能に越してきてもう50年です。

 ※瀬戸内で育ったので、ハマグリをよく捕りに行きました。ハマグリはみんなに配って食べました。

 ※国民学校1年生でやっと友達ができたと思った途端に隣町に引っ越し。そこで戦争と関東大水害に遭い、またまた引っ越し。戦災で火に遭い、水害で泥水につかり火と水に付き合ったから、もうコワイものはないぞと思った途端、オヤジが大病に見舞われた。その上戦後の大不況。道端のタンポポのオカズに麦と大豆を一つまみの米でつなぎ合わせたメシ、黒斑病に侵されたメシ等、忘れようにも忘れられない非道(ひど)い食生活を絶対忘れられない思い出として、味わったものでした。

 ※小学6年生まで雪深い北海道で生活していました。子どものころ、大雪の中母親と兄弟3人で父親が夜不在だった日にバスで10分かけてラーメンを食べに行きました。手袋に10円玉(バス代)数枚握りしめて4人で大雪の中おいしくてあたたかいラーメンをおいしいネ、おいしいネと笑顔で食べたことを思い出し、心が温かくなりました。

 ※私は昭和18年生まれです。太平洋戦争の真っただ中です。名前は勝ち進むの「進」にしたと親から聞いています。戦争の記憶はほとんどありません。昭和25年が小学校1年生。川でウナギ、ナマズ、銀魚捕り、あんまづり、クキ、ハヤ、サッパつり、カジカのあこ捕り、箱メガネの夜灯突き、沢蟹捕りもしました。赤蛙のモモ肉も食べ、蜂の子も飲み込みました。凧揚げ、ベーゴマ、メンコはよくしました。木登り、メジロ捕り、クワガタ、カブトムシ捕り、イタドリ、ワラビ、ヨモギ、どどめ(桑の実)、ツクシも摘みました。お茶の実を集めて学用品を買いました。MPのジープを追いかけてガムやチョコレートをもらいました。貧乏で食べるものは何もなかったけれど、何でも食べてよく遊び、楽しかったです。

 ※菅原都々子が歌った「憧れは馬車に乗って」は幼いころを思い出させてくれる。子どものころは、バスや汽車に乗るのが楽しかった。米子へ遊びに行くには必ずバスに乗るから、それが楽しみだった。近所に材木運搬の馬車引きのおじさんがいた。小学校へ行くか行く前のころか忘れたが、玄関先で乗りたそうに馬車を見ていたら、おじさん夫婦が馬車を止めて乗せてくれた。近くの山に連れて行ってもらい、切り出された材木を積んでいたら昼になったので、おじさん夫婦の弁当を分けてもらい一緒に食べた。自然の中で食べるのは余計においしい。

 その息子は私より10歳ほど先輩で、今も現役で自営業をしている。ある時、地域の行事を終えて懇親会でその思い出話をしたら、大変喜び感激して聞いてくれた。あの時乗った馬車はいつまでも脳裏を離れない。子ども心に夢を乗せた希望の馬車だったかもしれない。

 ※「少年時代」の短歌

 薄明にクワガタ捕りの少年は怖さとわくわく森中へ入る

 店頭のテレビに拳振り上げて力道山と諸共戦う

 レンゲ畑腕を枕に寝ころべば霊は宇宙に吸い込まれて行く

                 (続く)

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