小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1995 88歳の健脚に脱帽 目を見張る思いの池江選手

                             
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 私の前を一人の高齢の男性が歩いていた。背が高く、やせていて仙人を連想させる。私はいつものように、ポールを使ったウオーキングをしていて、歩き方は速いはずだった。だから、前の高齢者にはすぐに追いつき、追い越すと思っていた。だが、そうはいかなかった。追いつくどころか、次第に差をつけられている。朝の散歩コース、調整池の遊歩道。私はこの人の後ろを追いながら、驚くべき回復を見せている水泳の池江璃花子選手(20)のことが頭によぎった。

 私の前を歩いていた人は、実は近所の広場で毎朝やっているラジオ体操の主宰者だった。そのことに途中で気づいた。しばらくしてラジオ体操に行くと、もちろんこの人もいた。「あの人の年齢は幾つくらいですか。若いころ、何がスポーツをやっていたのですか」。私は、あの人は競歩選手をやったのかと思ったから、ラジオ体操仲間に聞いてみた。すると、年齢は88歳でスポーツをやっていたとは聞いたことがない、という返事があった。他の人からも同様の答えが返ってきた。

 88歳と聞いて、私は驚くばかりだった。背筋を真っすぐに伸ばし、すたすたと歩く姿は、そんな年齢には思えない。本人に聞く機会はなかったが、地区のラジオ体操を主宰しているのだから健康を維持するために体を鍛えているのだろうと、私は思った。それにしても、その早足ぶりと健脚には脱帽だ。

 脱帽といえば、急性白血病を克服して水泳の第一線に戻った池江選手もそうだ。競泳の日本選手権に出場し、驚くべき力を発揮している。同じ病気で苦しんだ知人の闘病記を読んだが、その闘病の辛さは並大抵ではない。体力の衰えもひどかったはずだ。筋力や持続力、瞬発力等々、失うのは速いが、快復するのは容易ではなかっただろう。それだけに池江選手は、私たちが知らない努力を重ねたのだろうと思われる。池江選手の活躍に目を見張る思いの人は少なくないだろう。

 以前のブログに書いたことがあるが、民俗学柳田国男は『不幸なる芸術・笑いの本願』(岩波文庫)という本の中で「人生には笑ってよいことが誠に多い。しかも今人(こんじん)はまさに笑いに飢えている」と嘆いた。コロナ禍が続く現代はだれもが笑いに飢えている時代といっていい。しかし、池江選手の活躍をテレビで見ていると、つい顔の筋肉が緩んでしまう。今朝の人生の大先輩の早足姿も同様だ。20歳と88歳。年齢は離れていても、見る人に活力を与えてくれる存在だ。ただ、商業化した五輪に、池江選手が振り回されないことを願うばかりである。
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