小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2021-03-01から1ヶ月間の記事一覧

1993 風景との対話 人もまた一本の樹

街路樹のうちけやきが緑の葉を出し始め、目に優しい季節になってきました。近所の体操広場にあるマロニエの木も1本だけ葉が茂ってきています。広場を取り囲むように植えられている30本ほどのマロニエ。この木々の葉が茂り始めますと、ラジオ体操に集まる人…

1992 心和む風景 畑おじいさんからのあいさつ

散歩をしていたら、写真のような掲示をしている家があった。このブログで以前、玄関脇に1坪ほどの田んぼを作り、稲を育てている家があることを書いたことがある。(下段の関連ブログ参照)この掲示は、この家の主が書いたようで、最後には「畑のおじいさん」…

1991 盤根錯節に遇いて利器を知る 他山の石より自民の石

政治家の言動を見ていますと、本当に勉強になります。自分の常識が間違っているのではないかとさえ思うことがしばしばあります。先日、元法相の河井克行衆院議員が、公選法違反(買収)事件の裁判で、これまでの無罪の主張を一転させました。河井氏は起訴事…

1990 雲海のような絶景 朝霧の散歩道

今朝の散歩途中、「雲海」のような現象が目の前に広がっていた。正しくは雲海ではない。散歩コースの調整池から発した霧が周辺を覆い、高原に見られる雲海と似た風景を演出したのだ。コロナ禍で気持ちが沈む私たちに自然が贈ってくれた美しい風景は、気温の…

1989 1本の花の物語 幻の「海棠の歌」

庭に1本だけある海棠の花が満開になった。昨年よりかなり早い。歳時記の本の説明には「4~5月に薄紅色の花をつけた花柄が長くうつむきかげんになるのをしばしば美女にたとえる」(角川学芸出版『俳句歳時記』)とあり、庭の一角が華やかに見える。題名や…

1988 春を待つ思いは世界共通 浮かれることはできない日々

3月も中旬になった。私が住んでいる千葉市周辺ではミモザや水仙、レンギョウといった黄色い花だけでなく、早咲きの八重桜(陽光桜)も咲き出した。ソメイヨシノの開花はまだだが、数日中には開花の発表があるかもしれないほど暖かな日和が続いている。だが…

1987 被災地で感じる胸の痛み(再々掲)

東日本大震災から10年になった。政府主催の「十周年追悼式」が11日、国立劇場(東京都千代田区)で開かれた。菅内閣は「復興の総仕上げの年」と称して、追悼式を今回で打ち切る方針だという。本当に総仕上げといえるほど復興は進んでいるといえるのだろう…

1986 渚に燃やせかがり火 永遠の海への祈り

「大島」と聞くと、多くの人は伊豆大島か奄美大島を思い浮かべるかもしれません。2つの島に比べますと、福岡県宗像市の大島、山口県の周防大島(屋代島)、宮城県気仙沼市の大島は「知る人ぞ知る大島」といえるでしょう。気仙沼の大島は東日本大震災の被災…

1985「不正のない国で暮らしたい」ミャンマー・デモ参加の女性に学ぶ

「自由で幸福で不正のない国で暮らしたい」。だれでもがこの言葉に異存はないはずだ。わが日本。自由はまあまあある。幸福はどうだろう。健康で文化的で普通の暮らしができ、家族や友人に恵まれていれば、まあ幸福か。自分が幸福かどうかは、人によって受け…