小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2020 ヒヨドリ親子の“食事”光景 厳粛な生への営み 

     

                  

     

 鵯(ヒヨドリ)の大きな口に鳴きにけり 星野立子

 俳句では秋の季語である鵯(ヒヨドリ)。夏の庭でも時折見かける。そのくちばしは大きくて目に付く。それを象徴する場面を見た。親鳥が雛に赤い実を食べさせているところだった。慌ててカメラを取り出し、写したのが上の写真だ。改めてこの写真を見ていると、自然界の生への営みの厳粛さと親子の愛情が伝わってくる。

  つい先日のことである。庭先でヒヨドリがうるさいくらいに鳴いている。それも1羽だけではない。何だろうと、外を見ると、わが家のキウイフルーツの枝に3羽のヒヨドリが止まっている。1羽は大きく、2羽は小さいから親子なのだろう。2羽は巣立ったばかりのように見える。そおっと近くに寄ると、3羽とも飛び立って隣家の庭の樹木に移っていった。その後、親鳥はそこからさらにどこかへと飛んで行った。

  2羽は親鳥が飛んでいく方を向いて、じっとしている。しばらくすると、親鳥が戻ってきて、口にくわえてきた小さな赤い実を1羽の口に入れている。雛の方は思い切り口を開け、それを飲み込もうとしている。親鳥はさらに雛鳥の口の奥まで押し込もうとしているように見える。雛がようやく実を飲み込むと、親鳥はそこを離れ、2羽も親鳥の後を追って、隣家の庭からどこかに飛んで行ってしまった。

  親鳥が運んできた赤い実は、近所の公園にある桜に付いた実のようだ。果物として販売されているサクランボではなく、ソメイヨシノなど様々な桜の木にも小さな実が付くから、野鳥にとって生きるための貴重な食べ物になるのだろう。ヒヨドリは頭の毛が逆立っているのが雄で整っているのが雌というから、私が見た親子のうち親鳥は雌で、幼鳥は餌をもらったのが雌でもう1羽は雄だったかもしれない。

  人を待つベンチ桜の実いつぱい 細見綾子(桜の実は夏の季語)

  ヒヨドリは鳩と同じくらいの大きさの野鳥で、「ピョーピョー」と鳴く。灰色の羽毛はどう見ても美しいとはいえず、メジロと一緒に庭に来ると、メジロを追い出して餌をついばんでいる。だから私は、ヒヨドリが乱暴な鳥に見えて好きになれなかった。だが、この親子の光景を見ていたら、そんな先入観は少し捨てた方がいいように思えてきた。

『麦と兵隊』など兵隊三部作で知られる作家火野葦平(1907~1960。現在の北九州市若松区出身)の生涯を振り返る企画展が、昨年、北九州市立文学館で開かれたことが新聞に出ていた。約200点が展示された中に、『鵯の日記』というヒヨドリが書いた日記という体裁の未公開の童話も含まれていた。18歳だった早稲田大学時代に出版社に持ち込んだが、出版には至らなかった作品だそうだ。詳しい内容は分からないが、作品のテーマに選んだのだから若い時代の火野にとってヒヨドリは身近な存在だったことは間違いないだろう。

 きょう午後2時52分、わが家で昼の間だけ預かっていた娘一家のミニチュアダックスフンドの雌の「ノンちゃん」が天国に旅立った。15歳だった。ヒヨドリの親子の姿は生への喜びを、ノンちゃんの死は生命のはかなさを感じさせた。病と闘い終わったノンちゃんは、眠っているような穏やかな顔に戻っていた。

 

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 写真1、親鳥から赤い実(桜の実らしい)をもらう幼鳥(上)

   2、同じ方向を向いて親鳥を待つ2羽の幼鳥(上は雌、下が雄か)