小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2103 2月生まれの感覚 寒い朝でも……

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 このごろは、夜明け前の東の空を見上げるのが楽しみだ。明けの明星(金星)が輝いているからだ。「いつせいに春の星座となりにけり」(黒田杏子)という句がある。今日は立春。この日が来ると、黒田の句のように昨日までは冬の星座だったものが、今日からは春の星座へと変化し、明けの明星の輝きも春の足音を告げてくれるように思えるのだ。

 先日まではこの星の近くに、三日月が見えた。夜明け前の空を競うような輝きに、寒さを忘れて見入ったこともある。2月は一年で一番寒い季節だ。山形の友人が送ってきた自宅周辺の風景の写真を見ると、丈余の雪が積もっていて、とても春の足音が聞こえる状況ではない。しかし私の住む千葉周辺では紅梅に続き白梅も花が咲き、春の気配を強く感じる。そんな季節の真ん中である2月16日に私は生まれた。

 パソコン用の日記帳には「今日は何の日」という項目があり、このブログを書いている今日(2月4日)は飛行家リンドバーグの誕生日(1902年)と出ている。そして16日は「キューバ革命成功、カストロ首相就任(1959)と大岡信(詩人、1931)、高倉健(俳優、同)の誕生日」とある。大岡は「ぼくには2月生まれということからくる一種独特の『2月』に対する感覚があります。そのころに霜柱が立ち、土が浮き上がってくるくらいに寒くなって、氷柱もいっぱい下がっているような、そういう季節に生まれたという思いが、ぼくにあるわけです」(『瑞穂の国うた』(新潮文庫)と書いている。

 こうした感覚は私にもあって、2月の寒い朝でもそう苦にはならない。毎朝6時前に家を出る。遊歩道を散歩した後、広場に集まり、6時半からラジオ体操をやる。これが10数年続く日課になっている。体操参加者は冬を除けば40人近い人数だが、寒い季節は10数人しかいない。いずれも常連で顔見知りだ。最近の話題は、コロナ禍の第6波と3回目のワクチン接種のことが多い。ワクチンを昨日打ったばかりという人もいる一方で、体操仲間は医者にかからない健康な人が多く、かかりつけの病院がない人もいる。「近所の病院では受け付けてもらえない。電車に乗って市の大規模接種会場まで行くことにしました」と話す人もいた。

 このブログを書きながら、ヴィヴァルディ作曲〈四季〉の古いレコード(ネヴィル・マリナー指揮、アカデミー室内管弦楽団キングレコード)を聴いている。このレコードには「作曲者の手になるといわれるソネット(14行詩・小倉重夫訳)が付いている。「冬」のソネットの第3楽章は次のようになっている。これを読んで私は子どものころを思い出している。

《氷の上を歩き、そしてゆっくりした足どりで
転ぶのを怖れて注意深く進む、
乱暴に歩いては、滑って倒れ
再び氷の上を激しい勢いで走る
氷が割れて、裂目ができるほどに.
鉄格子戸から外に出て聞く
南風北風、そしてあらゆる風が乱戦するのを.
これが冬だ、でもこのようにして冬は喜びを齎(もたら)すのだ.》

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写真

1、2、3は夜明け前に輝く明けの明星

4、山形の友人から送られてきた大雪の風景