小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2111※ブログ移行のお知らせ

※ブログ移行のお知らせ

 

 事情によりブログを移行しました。これまでのご愛読に感謝します。ブログ名は同じです。こちらからご覧ください。→https://hananon0701.blog.jp/

 

 引き続き、お付き合いください。よろしくお願いします。

                       2022年3月1日 遊歩

2110 ウクライナ住民とロシア兵士の攻防『ひまわり』の街で

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 ロシア軍のウクライナ侵攻に関して、春江一也『プラハの春』(集英社文庫)で紹介されたものと似た動きがウクライナ国内で起きているという。プラハの春は、54年前の1968年に中欧チェコスロヴァキア(現在はチェコとスロヴァキアに分離)で起きた民主化の動きで、当時のソ連(ロシア)はワルシャワ条約機構軍を投入して軍事侵攻、自由化を求める運動を圧殺した。同書によると、やってきたソ連兵士に対しチェコスロヴァキア全土で市民たちが話しかける行動を起こし、兵士たちが消耗する姿が見られたという。今回のウクライナ侵攻でも、市民が兵士に話しかけるというプラハの春同様の動きがあることが報じられている。

プラハの春』の著者、春江は外交官としてチェコスロヴァキアの在日本大使館に在職中、この運動に遭遇した。この作品はフィクションとはいえ、かなりの部分で当時の実情が織り込まれており、市民とソ連兵士とのやり取りも実際にあったことは間違いないようだ。市民とのやり取りの中で兵士たちが消耗し、上官がうそをついて君たちを動員したのだと指摘され、自殺した兵士がいたことも書かれている。

 今回の動きである。イギリスの公共放送・BBC放送は24日に南部のヘルソン州ヘニチェスクで撮影したという音声入りの映像を放送、注目を集めている。機関銃で武装したロシア兵に女性が「占領軍ね! ファシスト!私の地元にきて、一体何なの。何で武器を持ってここにきたの」「このヒマワリの種を持っていきなさい。あなたが死ねば、そこから花が咲くから。この先あなたたちは呪われる」と詰め寄与る場面など、ウクライナ国民・市井の人たちの怒りが伝わる動画である。1分2秒のこの動画の緊迫したやり取りは以下の通りである。

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 女性 あなた誰(兵士が演習と答えているようだが、聞こえない)演習ってなんのこと!あなたロシア人なの?ロシア人?

 兵士 ええ。

 女性 一体ここで何をしているの。

 兵士 話をしてもどうにもならない。

 女性 占領軍ね、ファシスト! 何で武器を持ってここにきたの!

 兵士 我々は…… 誰が……

 女性 このタネを持っていきなさいよ。あんたがここで死んだとき、ヒマワリがはえるように。

 兵士 そうか……話をしてもどうにもならない。事態がこれ以上悪くならないようにしましょう。頼みます。

 女性 私たちが事態を悪くするって、どういうこと?

 兵士 事態がこれ以上悪くならないようにしましょう。

 女性 あんたたちみんなこのタネをポケットに入れてよ。タネを持って行ってよ。あんたたちはタネを持ってここで死ぬんだから。私たちの土地へやってきて……

 兵士 分かった。聞くだけ聞きましたよ。

 女性 分かっているの?あんたたちは占領軍だ。あんたたちは敵だ。

 兵士 分かった。

 女性 この先あんたたちは呪われる。そうだ!

 兵士 そうか。

 女性 そうだよ。

 兵士 ここまでだ。いいか、よく聞いて。

 女性 聞いたよ。

 兵士 事態がこれ以上悪化しないようにしよう。

 女性 悪化しないようにって? 呼ばれてもいないのにやってきたのはあんたたちでしょ。

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 ヘルソン州は、1970年に公開されたイタリア映画『ひまわり』(監督ヴィットリオ・デ・シーカ、主演ソフィア・ローレンマルチェロ・マストロヤンニ)のラストシーンのロケ地として知られている。地平線まで続く広大なヒマワリ畑と傷心のソファーローレンの絶望の表情を記憶している人は多いだろう。

 ヒマワリはロシアの国花(もう一つはキク科のカミツレ)であり、ウクライナでもかなり栽培されており、特にヘルソン州では栽培が盛んだそうだ。双方にとってなじみの深い植物を利用した女性市民の勇気ある行動。敬服するのは私だけではないだろう。

 モスクワからの報道によると、今回のロシア軍のウクライナ侵攻に対しツイッターなどSNSで、市民に詰問されるロシア兵を撮影したとみられる複数の動画が投稿されたという。ロシア兵が路上で市民に尋問され、おびえた表情で名前と所属部隊を言い「演習として送られた」と述べる兵士の姿や、市民らに罵倒され、頭を抱えて座り込むロシア兵の姿も映っているという。こうした市民たちの抵抗が功を奏するよう願うばかりである。

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 写真1、トルコで見た美しい夕陽 2、ヨーロッパの山並み。この向こうにウクライナがある。(記事とは関係ありません)

 関連ブログ↓

 1918 夏の風物詩ヒマワリ物語 生きる力と悲しみの光と影

2109 何を語る戦争の絵 ロシアのウクライナ侵攻

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「私は一人なの。どうしたらいいの!」。ロシア軍がウクライナに軍事侵攻したニュース映像で、こう叫びながら避難する女性の姿を見ました。侵攻を命令したプーチン大統領は、こうした市民のことは虫けら同様に思っているのかもしれません。国際社会を揺るがすニュースを見ながら、これまで見てきた5人の画家による戦争にまつわる絵のことが頭に浮かんできました。このうちの1枚は、ロシア生まれで西側で活動したシャガールの作品です。

 戦争をテーマにした絵は数多く描かれています。その中で私が実際に目にした著名画家の作品は、5人の作品です。

 ▼ゴヤ『1808年5月3日』(あるいは『1808年5月3日の銃殺』、スペイン・マドリードプラド美術館に展示。独立戦争当時のフランス軍による惨劇がテーマ)

 ▼ピカソゲルニカ』(マドリードのソフィア王妃芸術センターに展示。スペイン内戦の際にフランコ将軍側を支援したナチス・ドイツが無差別に空爆した小都市ゲルニカの惨劇がテーマ)

 ▼シャガール『戦争』(後述)

 ▼丸木位里丸木俊『原爆の図』(埼玉県東松山市の原爆の図丸木美術館。広島出身の夫妻による原爆投下後の惨状を描いた15点)

 ▼藤田嗣治アッツ島玉砕』(1943年作)と『サイパン島同胞臣節を全うす』(1945年作)

 藤田の作品以外は、戦争の悲惨さをテーマにしたものといえます。藤田の絵反戦画とも見ることができますが、実際には一億総玉砕という軍部の意図によって描かれた「玉砕を美化することがテーマ」といわれ、戦後、藤田は戦争に協力した画家というレッテルを張られ、日本を去ってフランスに移り住んだことはよく知られています。

 では、シャガールの『戦争』はどうなのでしょうか。シャガール帝政ロシア領のヴィテブスク(現在のベラルーシ・ヴィーツェプスク)で生まれたユダヤ系ロシア人です。ベラルーシは、今回ロシアが侵攻したウクライナの北隣にあります。1887年に生まれたシャガールは1985年に97歳で亡くなるまで多くをフランスで過ごし天寿を全うしましたが、その間、ロシア革命、2度にわたる世界大戦を経験し「戦争と平和」が生涯をかけたテーマといわれ、その中の1枚が1964~66年作の『戦争』です。

 この絵には軍隊や兵器は登場せず、軍隊よって攻撃された後の悲惨な光景が描き出されています(作品の詳細はこのブログを参照→1311 「戦争」を憎むシャガールの絵 チューリヒ美術館展をのぞく)。それは、テレビで見た女性の姿やこれからウクライナ国内で起きるかもしれない悲劇と二重写しになるのです。この絵は、スイスのチューリヒ美術館に収蔵されていますが、私は2014年に国立新美術館で開催された「チューリヒ美術館展」で展示された際に初めて見て、強烈な印象を受けたことを覚えています。「怖い絵」の一枚といえるでしょう。

 ウクライナの今後はどう展開するのか、専門家と称する人たちがいろいろ推論を述べていますが、見通しはよく分からないというのが実情のようです。国際社会を敵にして、「強いロシア」を目指すといわれるプーチン氏の頭の中はどうなっているのでしょうか。しかし、この独裁者の未来は明るくない、必ずこの報いが来ると私は思うのです。ロシア国内でもプーチンのこの蛮行に批判が強まっているようです。平昌五輪フィギュアスケート女子の銀メダリスト、メドべージェワはインスタグラムに黒い画像とともに「悪い夢のように、一刻も早く全てが終わることを願っています」と投稿したということです。これが正常な感覚ではないでしょうか。

 

 

 1560 「怖い絵」について 人の心に由来する恐怖

2108 ウクライナへのウイルスばらまき ロシア・プーチンの行く末

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 ロシアのプーチン大統領が今日22日、ウクライナ東部のドネツク州とルガンスク州にある親ロシア組織が名乗る、州名と同じ名前の「人民共和国」の独立を承認する大統領令に署名した。驚くべき独善的政策と言える。この問題で開かれた国連安保理の緊急会合でウクライナ国連大使が語った「国連はロシアがばらまくウイルスに毒されている」という発言は、的を射たものだ。国際社会にとって、ロシア・ウイルスを克服するワクチンはできるのか……。

 各種報道によると、国連の緊急会合に出席したウクライナのキスリツァ国連大使は、発言の前にマスクを外し「今や新型コロナウイルスに対するワクチンは存在するが、国連はクレムリンがばらまく別のウイルスによって毒されている」と述べたそうだ。これは世界的大流行になっている新型コロナウイルスになぞらえ、プーチン大統領に対する厳しい批判であることは言うまでもない。

 この後、大使はロシアの挑発に屈しないと強調。ジョージアへの軍事侵攻(2008年)、ウクライナのクリミアの併合(2014年)など、ロシアが周辺国への侵攻を繰り返してきたことを挙げ「国連加盟国のうち、次に標的にされるのはどこなのか。ウイルスに屈するかどうかは加盟国の対応次第だ」と述べ、国際社会が立ち上がるよう要請したという。

 国際社会の一員たる日本。私はこの国際紛争で日本がかつて中国に建国した旧満州国のことを連想した。旧満州国は1932(昭和7)年3月1日、日本の関東軍の主導で建国され、清朝最後の皇帝・溥儀が元首(皇帝)として祀り上げられた。国際社会はこの国が日本の傀儡国家であるとして、当時の国際連盟総会で日本の満州からの撤退勧告案を42対1(反対は日本だけ)で可決している。現在の国連はロシアと中国が歩調を合わせており、同様な勧告案が上程されても、満州国問題当時よりも反対票は多いのかもしれない。とはいえ、情報化時代だから、ロシアに対する嫌悪感は地球全体で拡散されるているのは間違いない。

 それは終わったばかりの北京冬季五輪の女子フィギュアのワリエワに絡むドーピング疑惑も影を差している。著名なロシア研究者の大学教授はテレビで「ロシアは見つかれなければ何でもやる。ドロボーをしても捕まらなければドロボーではない」と解説していた。それが国民性とは思えないし、ごく一部の人ではないか。だが、昨今の、というよりスターリン時代から今日のプーチン時代まで、ゴルバチョフ時代を除いてソ連=ロシアは国際社会とは異なる時代を歩んだ。そして、これからロシアはどこに向かうのか。昨今、モスクワで活動している後輩記者の、苦悩の顔を思い浮かべる……。

(写真・今朝も西の空にはビーナスベルトが見えました)

2107 人は何で生きるか 天才少女の挫折とトルストイ

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 ロシアの文豪、レフ・トルストイの短編『人は何で生きるか』(中村白葉訳・新潮社『世界名作選』は、民話を通じて、人の生き方を描いたものだ。ドーピング疑惑の中で出場し、暫定4位に終わった女子フィギュアのロシア、カミラ・ワリエワ(15)の騒ぎを見ていて、ついこの民話を思い出し、読み返した。そこには興味あることが書かれていた。

 この短編は、以下のような内容だ。貧しい靴職人セミョーンは、秋になるとコツコツ貯めた少ない金を持って毛皮の外套を買いに村へと出かける。途中、靴の修理代金を農民からもらって、足しにしようと思った。しかし、返したもらった金は少なく、仕方なく彼は外套を買わずにウオッカを飲んで家路につく。その途中、礼拝堂の後ろに裸の若い男がいるのを見つけ上衣を着せ、靴をはかせて自宅へ連れ帰る。妻のマトリョーナは若い男を追い出そうとするが、思いとどまり、食事を与える。男はミハイルと名乗り、セミョーンに教えられて靴職人として仕事をする。この後、セミョーンのところに靴を注文に偉そうな旦那、双子の女の子を連れた女がやってくる。この人物たちと出会うことで、ミハイルが神様から3つの言葉の意味を調べて来いといわれてやってきた天使であることが分かる。

 その3つの命題とは①人間の中にあるものは何か②人間に与えられていないものは何か③人間は何で生きるのか―—である。ミハイルは靴屋一家とともに生活することで答えを見つけ、天国へと帰っていく。では、その答えはどんなものだろう。

 ①人間の中にあるものは愛である②人間には知る力が与えられていない③すべての人は自分のことだけ考えて生きているのではない、愛によって生きている――ということだった。3つの命題の答えを北京五輪フィギュアの15歳の天才少女のドーピング疑惑をめぐる大人たちに当てはめてみると、残念ながらすべてノーではないか。

 エテリ・トゥトベリーゼというコーチは、満足な演技ができずに戻ってきた失意のワリエワに向かって「なぜ諦めたの? なぜ戦いをやめたの? 説明して」と容赦ない言葉を浴びせたという。どう見てもトルストイの民話とは縁遠い姿だ。これが人類愛をモットーとした文豪を生んだ国の人とは思えない。

 きょうは近所の公園から見る富士山が美しかった。富士山を見ていると、爽やかさを求めるスポーツの世界の暗部をのぞいてしまった、もやもやとして気持が薄れていくようだった。

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 1637 敵意を持った人間の息は トルストイの民話から

2106虹を見た朝に 自然との対話/五輪をめぐって

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 今朝8時前、短い時間でしたが、調整池の向こう側に「冬の虹」が立ちました。短い時間と書いた通り、私が歩いている間の5分程度で消えてしまいました。まさに「冬の虹消えむとしたるとき気づく」(安住敦)の句通りの、幻のような虹でした。その間、周辺は霰(あられ)が舞っていました。冬の虹は何を語るのでしょうか。光の春が近づく中で、世界では不穏なことが続いています。きょうのブログは、こうした世界の動き、特にスポーツ選手のドーピング問題を中心に、少しだけ姿を見せてくれた冬の虹と架空の対話を試みてみました。(以下、虹と私で表記)

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 私 きょうはどうしたのですか。急に姿を現しましたね。

 虹 私が出るのにちょうどいい状況があったからですよ。少しだけ雨が降ったことで、太陽さんの光が雨粒の中で屈折したのです。

 私 そういえば、霰の前に天気雨のような雨が降りましたね。登校中の子どもたちはあなたに気が付かなかったみたいですよ。

 虹 それは残念でした。まあ、でもあなたのような、散歩途中の人が少しは気が付いてくれたかもしれません。それでいいのです。

 私 いま人類はコロナという病気と長い闘いを続けているのですが、あなたを見て少し気が休まりました。

 虹 そうですね。今の世界はいろいろなことが起きていますね。見ていて気の毒です。それにしても、ロシアをめぐる話題が中心のように見えますね。

 私 ロシアのウクライナ侵攻問題と北京五輪のカミラ・ワリエワ(15)のドーピング(薬物)問題ですね。ロシアのウクライナへの侵攻の構えはウクライナNATO加盟=欧州化を防ぐためと言われていますが、プーチンが自分の独裁体制を維持するための作戦という見方もありますね。しかしロシアに対する世界の評価はソ連時代のハンガリー動乱プラハの春、アフガン侵攻同様、地に落ちることは間違いないでしょう。今、ロシアと米国を中心としたNATO側が駆け引きをしていますが、外交で決着することを願うばかりです。

 虹 私は北京五輪の開会式にロシアのプーチン大統領が出席したことが不思議でなりませんでした。ロシアは国ぐるみで多くの選手にドーピングを続けたことの責任を問われ、国としての参加はできずにロシアオリンピック委員会(ROC)の名前で選手の参加が許されているはずです。それなのに、のこのこと開会式に出るプーチンプーチンだし、招待する中国も中国です。国際オリンピック委員会(IOC)は完全になめられていますね。

 私 ワリエワの個人フィギュアへの出場を認めたスポーツ仲裁裁判所(CAS)の結論も不可解ですね。16歳以下ならドーピングをしても試合に出場させるとい悪い前例をつくってしまいました。ロシアのテレビは「ロシア外交の勝利だ」と放送したそうですが、この問題の経緯はどう見ても疑問が多く、気持ちがすっきりしません。ワリエワ側が、心臓に持病を持つ祖父と同じグラスを使って薬の成分が体に入ったという、子どもだましのような言い分をCASの聴聞会で主張したという報道もありますね。いずれにしろ前のブログでも書いた通り、爽やかさとは縁遠い、薄気味の悪い話題です。

 1988年のソウル五輪陸上百メートルで当時の世界新記録(9秒79)を出して優勝しながら、ドーピング検査で陽性反応が出て失格になったベン・ジョンソン(ジャマイカ出身でカナダ国籍)のことを思い出しました。私は当時、社会部の五輪担当デスクをやっていましたので、忘れることができないニュースです。彼はその後陸上競技界から事実上永久追放となり、ドーピングと言えば、必ず名前が出てくる不名誉な人生を送らざるをえませんでした。ワリエワもドーピングの歴史に名前が刻まれてしまいましたね。北京五輪の最大の話題がバッドニュースというのは、この五輪を象徴していると思います。

 虹 その通りですね。私はフランスの哲学者ジャン・ジャック・ルソーの「自然に帰れ」という考え方に共感します。百科事典にはこんなふうに出ています。「自然は人間を善良、自由、幸福なものとしてつくったが、社会が人間を堕落させ、奴隷とし、悲惨にした。それゆえ自然に帰らなければならない。人間の内的自然、根源的無垢(むく)を回復しなければならない、というのである。これはいうまでもなく、原始的未開状態への逆行を意味するのでもないし、またいっさいの悪を社会の罪にして、人間の責任を不問にするのでもない。ルソーはあくまで社会を人為の所産とみて、社会悪の責任を人間に問うのである」(小学館・日本第百科全書=ニッポニカ)。どうですか?この考えは古臭いですか。

 私 いや、そんなことはありません。現代にも通じる考え方だと思います。15歳の少女にスポーツ選手として禁止されている薬物を使わせるのは自然ではなく、悪魔のささやきに同調したものだといえるでしょうね。

 虹 遊歩さん(私のこと)は、スポーツは爽やかさが一番大事だと言っているようですが、私は昨日、日本人選手が敗者になった2つの競技にそれを感じましたね。男子のスキー複合と女子のスケートパシュート決勝です。

私 私もテレビで見ていました。パシュートは最後のカーブで高木菜那選手が転倒して銀メダル、複合はゴール近くまでトップだった渡部暁斗選手が2人に抜かれて銅メダルになりましたね。限界まで全力を尽くして高木選手は倒れ、渡部選手は抜かれてしまいましたが、見ていて心に残る競技でした。これぞオリンピックだと思いました。

 虹 古代オリンピック讃歌といわれるピンダロスの「祝勝歌集/断片選」(内田次信訳・京大学術出版会)という詩の中に考えさせられる言葉があります。「はかない定めの者たちよ!人とは何か?人とは何でないのか?影の見る夢――それが人間なのだ」です。

 私「影の見る夢――それが人間なのだ」。なかなか含蓄がありますね。ドーピング問題の本質をついているように感じます。

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2105 スポーツの爽やかさどこへ 失望の北京五輪

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「スポーツの爽やかさはどこにいった。つまらない大会だ」。世界でオミクロン株によるコロナ禍が爆発状態のさ中に開催中の北京冬季五輪を見ていて、こんなふうに感じている。なぜだろう。それには、日本選手が絡んだ2の競技が絡んでいると私は思うのだ。五輪は曲がり角に立っていると断言してもいい。2つの競技とは……。今大会から採用されたスキージャンプ混合団体とフィギュアスケート団体――である。この2つの競技については多くの報道があるが、以下は私見である。

 スキージャンプ混合団体では、日本の高梨沙羅ら有力国の女子選手ばかりの5人が競技後のスーツ検査で違反が指摘され、失格扱いになった。ジャンプ用スーツは選手の体から2~4センチのゆとりしか認められないのに、それよりゆとりがあったと判断されたという。通常女性選手には女性の道具チェック責任者(マテリアルコントローラー)が担当するが、今回は突然、男性が加わり、厳しい判定をしたと報道されている。高梨を含め5人全員が5日に行われた女子個人戦でも同じスーツを着ていたというから、検査の方法が突然変わったようだ。これまでは両手を下げた姿勢だったのに、両手を頭の上に上げさせて計測したという選手の証言もある。異例な検査だったことは間違いない。

 メダルが有力視された日本チームは1回目の高梨の得点がゼロとなったものの、2回目全選手が頑張って4位に食い込んだ。それでも高梨は責任を感じたのか、インスタグラムに真っ黒な画像と謝罪の言葉を並べた心境を投稿した。そこには「今後の私の競技に関しては考える必要があります」という引退を示唆するとも受け取れる言葉もあり、高梨が追い込まれてしまったことがうかがえる。後味の悪い結果に終わったこの競技について、国際スキー連盟(FIS)は今後検査のやり方などを改善すべき余地は少なくないのではないか。

 スタート前には、スタート付近で検査を受け、両足を40センチ開いた状態で立ち、股下や腰回りのゆとりなどをチェックするという。さらに跳び終えた後、抜き打ち検査をする仕組みだそうだが、これは抜き打ちではなく、全選手を対象にするなど公平性を担保する必要があるはずだ。1回目で好ジャンプをした後失格になった高梨は絶望を乗り越え、2回目でも見事なジャンプを跳び、チームの4位に貢献した。高梨が責められることはないのだが、この競技をテレビで見ていて、泣き崩れる高梨の姿が痛々しかった。

 フィギュアスケートの団体は、ロシア五輪委員会(ROC)の資格で出たロシアチームが優勝した。ところが、通常競技終了後に行われるメダル授与式が延期された。その理由は女子のショート、フリーともダントツだった天才少女といわれるカミラ・ワリエワ(15)のドーピング(薬物)検査が関係していると、五輪専門メディアの「インサイド・ザ・ゲームズ」が報じた。ワリエワが大会前に提出したサンプルから禁止薬物トリメタジン(狭心症や虚血性心疾患の治療に使われる心臓の治療薬)が検出されたとの報道もあるから、この問題は尾を引きそうだ。ロシアは夏の東京五輪に続きドーピングに国家ぐるみで関与したとして国としての出場は認められず、ROCとして出ている。そもそも国別対抗に出る資格があるのかという批判もある。

 しかし、他の競技にも国別対抗はあり、ROCで出場してメダルを獲得しているから、今回のメダル授与式延期は憶測を呼んでいた。そんな中でのワリエワのドーピング疑惑報道だった。団体戦での15歳の少女の演技は完璧であり、私は感心するばかりだった。早熟の天才かと思ったのだが、コーチ陣によって薬物も使われて作りあげられたロボットのような選手なのだろうか。同じ15歳当時の2018年、平昌五輪で優勝したアリーナ・ザトキワ(19)も、既に第一線の大会には出ていない。ロシアの一部女子選手の選手生命の短さの背景には何があるのか……。メダル授与式がないとすれば、疑惑は深まるばかりであり、IOCは説明が必要だろう。

 以上は不愉快なニュース。羽生結弦が4回転アクセルに挑んだ男子フィギアは、そうではなかった。3連覇が期待された羽生はショートの1回目に予定していた4回転サルコウというジャンプができず、1回転に終わってしまった。羽生によると、踏み切り直前に確認しながらやっていたが、たまたま他のスケーターがつけた穴にはまってしまい、頭が危ないと防衛して1回転になってしまった、という。羽生は「何か嫌われることしたかなって。氷に嫌われたなって」と振り返っていた。

 リンクの条件は同じであり、他の選手もそうした氷の状態に神経を使いながら競技に挑んでいるはずだから、羽生の場合、不運としか言いようがない。10日のフリーで4回転アクセルのジャンプに挑み、転倒したものの、ショートの8位から4位にまで追い上げたのはさすが羽生といえる。しかも、採点表上は4回転アクセルの回転不足の判定で、ジャンプの種類としては4回転半として扱われた。公認大会では初の認定というから、初めて4回転半に挑んだ男として、羽生の名前はフィギュアスケートの歴史に刻まれることになる。

「五輪には魔物が棲む」といわれる。魔物によって頭が真っ白になり、力を十分に発揮できない選手がいる反面、何かに後押しされ、未知数の選手が優勝する場合もある。バルセロナ五輪女子水泳200メートル平泳ぎで14歳の岩崎恭子が金メダルを獲得したのは、魔物が後押しした代表例ではないか。

 一方、羽生のショートは冒頭のジャンプで力を発揮できなかったという点で、この言葉を思い起させるものだった。今回、圧倒的強さで優勝したアメリカのネーサン・チェン(銀は鍵山優真、銅は宇野昌磨)は「4回転アクセルは神の領域だ」と語っている。しかし不可能を可能にしようと、神の領域に挑み続ける羽生の姿は爽やかであり、これぞスポーツではないか。羽生はフリーの演技の後「これが僕の全て。報われない努力ってあるんだな」と、しみじみとした口調で語った。人生はそういうものなのだと思う。

2104 現実と幻想の世界と『銀河鉄道の夜』再読・幸せとは

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 最近、オンラインの講演を聴く機会が増えている。大学や団体などが主催したさまざま講演会はコロナ禍の中、外出をしないでもパソコンを使って話を聴くことができるので、利用している人はかなりいるだろう。そんな中、先日は天文学者谷口義明氏(放送大学教授)の「イーハトーブの星空で宮沢賢治銀河鉄道に乗る」と題した講演を聴き、あらためて『銀河鉄道の夜』を読み直した。この童話のラスト近くで「本当のさいはひ「幸い)は一体何だろう」「僕わからない」という言葉のやり取りがある。このやり取りは、コロナ禍の現代に生きる私たちにとっても容易に答えが見つからない難問だ。

 この童話は、賢治の死後未定稿のまま公表され、しかも四次にわたる改稿の跡があり、意味がよくわからない言葉(例えば「ケンタウル祭り」や「天気輪の柱」)も使われている。さまざまな解釈があり、谷口氏の話は天文学者の解釈として心に残るものだった。

 最終稿のストーリーは以下のようになっている。

《ヨーロッパと思われる町にジョバンニという少年がいる。病気の母親と二人暮らしで、家は貧しい。姉(嫁いで近所にいるらしい)が面倒を見にきてくれている。父親は北洋に漁に行っているが、監獄に入っているうわさもある。父親は「ラッコの上着を土産に持ってくる」と言っていたが、なかなか帰らないため学校でジョバンニは「ラッコの上着が来るよ」とからかわれている。

 銀河の祭り・ケンタウル祭りの日、学校から帰ったジョバンニは、配達されなかった母親の牛乳をもらいに行く。その途中丘に登って町を眺めていると、天気輪という柱が空中に立ち、そこから「銀河ステーション」という声が聞こえる。そして、いつの間にかジョバンニは軽便鉄道の車内におり、級友のカムパネルラが目の前に座っていた。この客車の窓からは、銀河の世界の風景が見え、2人はいろいろな人と接する。

 列車が止まっている間には、遺跡調査の学者と話し、さらに乗り込んできた鳥捕りの男がくれた肉の味に驚き、転覆した船(タイタニックがモデルとみられる)に乗っていた学生と子ども(姉と弟)らとも出会う。検札の車掌の「切符は三次空間から持ってきたのか」という話から、この鉄道が「幻想第四次」「(異次元)の世界を走っていることが明かされる。転覆したらしい船の3人は「天上行き」の駅で下車し、カムパネルラもそこで消えている。ここで丘で居眠りしていたジョバンニは夢からさめ、丘から町に戻ると、カムパネルラが川で溺れていた友だちを助けて行方不明になったことを知る》

(初期系三まではブルカニロ博士という人物が結末で重要な役割を担っている。しかし最終形では博士は出ていないし、それまでと違ってカムパネルラが行方不明になるという結末になっている。これについて、テレビ演出家の今野勉は「『宮沢賢治の真実』・新潮文庫」というノンフィクション作品で「賢治の思想や生き方に大きな変化があったのだろう、と推測せざるをえない」と書いている)

 冒頭に書いたやり取りは、銀河鉄道の旅の終わり近くになってジョバンニがカムパネルラに問いかけた場面の言葉だ。これについて、宮沢賢治の作品に詳しい詩人・コラムニストの高橋郁男さんは『渚と修羅――震災・原発・賢治』(コールサック社)という本の中で、次のように書いている。

《正直な応答であり、答えは答える人の数だけあると思われるし、答えがみつからはずがないとも言えよう。ただ、そういう問いを持つ、あるいはそこに立ち戻ることが大切なのではないかと、賢治が書き残したように思われる。その名前から賢治自身を連想させる虔十の公園林(虔十という軽度の知的障害を持つ少年を主人公にした短編童話)の物語にも「本当のさいはひ」のことが記されていた。》

 閉塞感に包まれた時代が続いている。「本当のさいはひ」とは何だろうかと考える人は少なくないはずだ。マスクを外しての散歩、公園ではしゃぎながら遊ぶ子どもたち、飲食店や喫茶店での気兼ねのないおしゃべり、学校でのコーラスの練習、職場での会話、郷里の年老いた両親との再会……。コロナ禍以前を思い起こせば、百人百様の答えがあるだろう。それは特別なことではなく、何気ない日常の姿ではないだろうか。そう、「時を共にして生きた人や生きものたち、子どもたちの遊ぶ声、木々の緑、川の音、渡る風、山、空、海、そして当たり前の日々、仕事、営み」(前掲『渚と修羅』より)等々だ。コロナ禍で私たちが失ったもの、奪われてしまったものは数えればきりがない。

 ジョバンニは友だちから蔑まれ、孤独の中で銀河鉄道への切符を手に入れる。旅のはてに彼は「本当のさいはひは何か」を考える。ジョバンニとカムパネルラのような少年たちはどこにでもいる。私はどちらかといえば、前者の方だった。そして私は今も「本当の幸福とは何か」を問い続けている。

(かつての勤務先の後輩が病に倒れた。優しくて善意の人の健康回復を願いながら、賢治の世界を振り返っている)

 

 

2103 2月生まれの感覚 寒い朝でも……

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 このごろは、夜明け前の東の空を見上げるのが楽しみだ。明けの明星(金星)が輝いているからだ。「いつせいに春の星座となりにけり」(黒田杏子)という句がある。今日は立春。この日が来ると、黒田の句のように昨日までは冬の星座だったものが、今日からは春の星座へと変化し、明けの明星の輝きも春の足音を告げてくれるように思えるのだ。

 先日まではこの星の近くに、三日月が見えた。夜明け前の空を競うような輝きに、寒さを忘れて見入ったこともある。2月は一年で一番寒い季節だ。山形の友人が送ってきた自宅周辺の風景の写真を見ると、丈余の雪が積もっていて、とても春の足音が聞こえる状況ではない。しかし私の住む千葉周辺では紅梅に続き白梅も花が咲き、春の気配を強く感じる。そんな季節の真ん中である2月16日に私は生まれた。

 パソコン用の日記帳には「今日は何の日」という項目があり、このブログを書いている今日(2月4日)は飛行家リンドバーグの誕生日(1902年)と出ている。そして16日は「キューバ革命成功、カストロ首相就任(1959)と大岡信(詩人、1931)、高倉健(俳優、同)の誕生日」とある。大岡は「ぼくには2月生まれということからくる一種独特の『2月』に対する感覚があります。そのころに霜柱が立ち、土が浮き上がってくるくらいに寒くなって、氷柱もいっぱい下がっているような、そういう季節に生まれたという思いが、ぼくにあるわけです」(『瑞穂の国うた』(新潮文庫)と書いている。

 こうした感覚は私にもあって、2月の寒い朝でもそう苦にはならない。毎朝6時前に家を出る。遊歩道を散歩した後、広場に集まり、6時半からラジオ体操をやる。これが10数年続く日課になっている。体操参加者は冬を除けば40人近い人数だが、寒い季節は10数人しかいない。いずれも常連で顔見知りだ。最近の話題は、コロナ禍の第6波と3回目のワクチン接種のことが多い。ワクチンを昨日打ったばかりという人もいる一方で、体操仲間は医者にかからない健康な人が多く、かかりつけの病院がない人もいる。「近所の病院では受け付けてもらえない。電車に乗って市の大規模接種会場まで行くことにしました」と話す人もいた。

 このブログを書きながら、ヴィヴァルディ作曲〈四季〉の古いレコード(ネヴィル・マリナー指揮、アカデミー室内管弦楽団キングレコード)を聴いている。このレコードには「作曲者の手になるといわれるソネット(14行詩・小倉重夫訳)が付いている。「冬」のソネットの第3楽章は次のようになっている。これを読んで私は子どものころを思い出している。

《氷の上を歩き、そしてゆっくりした足どりで
転ぶのを怖れて注意深く進む、
乱暴に歩いては、滑って倒れ
再び氷の上を激しい勢いで走る
氷が割れて、裂目ができるほどに.
鉄格子戸から外に出て聞く
南風北風、そしてあらゆる風が乱戦するのを.
これが冬だ、でもこのようにして冬は喜びを齎(もたら)すのだ.》

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写真

1、2、3は夜明け前に輝く明けの明星

4、山形の友人から送られてきた大雪の風景



 

2102 ジェンナーと華岡青洲と 医学の進歩と人体実験の被験者たち

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 新型コロナに関して、日本でも3回目のワクチン接種が始まっている。このワクチンの開発に当たっても治験(国の承認前の薬剤を患者や健康な人に投与し、安全性と有効性を確かめるための試験のことで、新薬開発のための治療を兼ねた試験を言う)という人体実験が実施され、安全性が十分確立された上で接種が認められたのだと思う。私も近く3回目の接種を受けるのを機会に、医学と人体実験について考えてみた。

 イギリスの医学者、エドワード・ジェンナー(1749~1823)が天然痘予防のため、牛痘を少年に接種したのは1796年5月のことである。今から226年前になる。私の中学生時代は、この少年は実の息子だと教えられた。それは誤りで実験台になったのはジェンナーの使用人とみられる8歳の男の子だったといわれる。この人体実験が成功し、ジェンナーは「近代免疫学の父」とも呼ばれている。しかし、ワクチン接種の歴史は「リスクと不確実性」に満ちているため、ワクチンに対する拒否反応が世界の人々の潜在意識の中に残っているのも間違いない。

「ワクチン」という呼び方は、フランスの生化学者・細菌学者ルイ・パスツール(1822~1895)が、ジェンナーの業績を称えて、ラテン語の雌牛である「vaca」から名付けたのだそうだ。天然痘天然痘ウイルスの感染によって発症する感染症。痘瘡ともいわれ、40度以上の高熱が出て全身がただれる症状で、最悪は死に至る恐ろしい病気だ。現在は治療法と種痘という予防法が確立し、人類史上初めて根絶に成功した感染症になった。

 ジェンナーが生きた当時のイギリスは、60年に及ぶジョージ3世の治世が続いていた。アメリカの13州が独立し植民地としてのアメリカを失う一方、産業革命が進行し、イギリス社会は大きく変貌を遂げた。しかし中世からの「階級社会」は厳然としており、「上流階級(王室や貴族)」、「中流階級(商業・工業・金融業などで財産を築いたブルジョア、弁護士・医師・軍将校などの専門職)」「労働者階級(小作人・工場労働者など肉体労働者)」という3つの階級に分かれる差別社会でもあった。

 中流階級に属する医師や弁護士たちは最低3人の使用人(労働者階級の人たち)を雇ったといわれ、ジェンナーも同様だったと思われる。ジェンナーは、どんな思いで使用人として雇った少年を実験台に選んだのだろうか。少年は孤児院から引き取った子あるいは貧農の子らしく、その後もジェンナーは孤児院の別の子どもたちに牛痘を接種する実験をしている。子どもたちは納得したうえで、ジェンナーに協力をしたのだろうか。こうした人体実験(臨床試験あるいは治験)がなければ種痘は確立されなかった。私たちは、実験台になった子どもたちへの感謝の思いを忘れてはならない。

 ジェンナーのことを書いていて、日本でも世界で初めての実験に挑んだ医者がいたことを思い出した。江戸時代の医師・華岡青洲だ。紀伊国の医師だった青洲は外科医として多くの患者を治療しているうち、手術のときの患者の苦痛を和らげられないかと考え、薬草を調合して麻酔薬「通仙散」を開発し犬や猫で実験を繰り返した。しかし、人間への適量は容易につかめず、悩み続けた。そんな青洲を見た母と妻が実験に進んで協力、人体への適量が分かった。その結果、1804(文化元)年、初めて全身麻酔による女性患者の乳がん摘出手術を行い、成功した。危険な実験に協力した母と妻の存在が医学の進歩に寄与したといえる。

 人体実験に関してはこんな話もあるという。今では日常的に行われている臓器の内視鏡検査だが、この内視鏡を発明したのはドイツ人内科医のアドルフ・クスマウルという人だ。1868年のことである。長さ47センチ、直径1・3センチの胃を調べる金属管の内視鏡を技術者に依頼して作って見たが、実験台は見つからない。そんな時、剣を飲み込む曲芸師がいたことを思い出し頼み込むと、彼は簡単にこれを飲み込み、実験は成功。今日の普及へとつながったことは言うまでもない。

 このように医学の発展の陰でさまざまな実験に対する協力者が存在する一方で、当然のごとく実験の失敗も少なくない。それがヨーロッパを中心としたワクチン忌避の背景にあるのかもしれない。また、同じ人体実験でも、日中戦争当時の旧満州中国東北部)で、関東軍731部隊が繰り返した細菌戦のための中国人捕虜に対する生体解剖やペスト菌による実験は、日本の負の歴史として刻まれている。

 私は以前、取材のためハルビン郊外の平房にある731部隊跡に行ったことがある。その時は夏だったが、なぜか鳥肌が立ったことを今も忘れることができない。新型コロナウイルスの感染に関する検査や終息に向けた活動をしている国立感染症研究所の前身は、国立予防衛生研究所だ。戦後この研究所には731部隊関係者が在籍していたことが青木冨貴子著『731――石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く――』(新潮文庫)に載っている。

※追記

 コロナワクチン(ファイザー、モデルナ)について、「特例承認であり、安全性が十分確立されているとは言えないと思われる」という声もあります。厚労省の「新型コロナワクチンQ&A」にも、「治験が終わっていないというのは本当ですか』という質問とその答えが載っています。そこには臨床試験の一部は現在も継続していると書かれており、特例承認という言葉も使っています。そのために安全性に対する疑問を持つ人たちが少なくないようです。内容はここから

 写真 早朝、東の空に明けの明星(金星)と三日月が美しさを競っていた