小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2005「命に大小はない」 ワクチン提供に戸惑う五輪代表

                             

「進むも地獄、退くも地獄」という言葉がある。私は好きではない。「前門の虎後門の狼」も同じだ。どっちを選んでもイバラの道なのだ。これでは逃げ場がない、出口がないではないか。せめてどちらかに行けば少しは展望が開けてほしいと思うのが人情だ。だが、7月に開会が迫った東京五輪は残念ながらこの言葉が似合ってしまうのだ。

  国際オリンピック委員会(IOC)は、東京五輪に参加する各国の選手団に米ファイザー社製新型コロナウイルスワクチンを日本国民とは別枠で提供することを突然発表した。4月に菅首相が訪米しファイザー社のCEOと電話会談した際、ファイザー側から提供の申し出があったというが、今頃の発表は裏がありそうで私は眉に唾をして首相の話を聞いた。

  最近「アスリートファスト」という言葉をよく耳にする。スポーツ競技に臨む選手たちが最高の力を発揮するために、整えた環境を提供しようということだろうか。コロナワクチンもその一環なのかもしれない。しかし、日本のワクチン接種は後進国的状況で、全く進んでいないから、五輪選手へのワクチン提供に異論や批判が出るのは仕方がない。

 9日に国立競技場で行われる陸上のテスト大会を控え、8日会見に臨んだ女子1万メートル代表の新谷仁美積水化学)の言葉は、選手たちの反応を象徴しているのではないか。報道によると、新谷は以下のように語ったという。

 「アスリートが特別というような形で聞こえてしまっているのが非常に残念。命の大きい、小さいはないので、五輪選手だけが優先されるのはおかしな話だと思う」

(自身が接種を受けるかどうか)「自分が受けないことで他人に危険が及ぶのであれば受けます。ただ、副反応がどう出るか分からないので恐怖もあります」  

 新谷らと同席した男子100メートル前日本記録保持者の桐生祥秀日本生命)は「どういう発言をするべきか、迷っている自分がいる。自分の意思をもって発言できるようにしたい」と語ったという。桐生の思いもまた、多くの選手が持つ戸惑いではないか。

  1940年の東京五輪は、日中戦争が泥沼化する中で中止に追い込まれた。大会中止に積極的に動いたのは副島道正というIOC委員だった。副島は中止が決まった後、IOC会長に書簡を送った。このような人物が現代日本にはいない。

《日本中で最も評判の悪い男になる危険をおかして、私は政府が東京、札幌(1940年2月に、夏の五輪前に開催予定だった)両オリンピック大会の中止を組織委員会に命じるよう働きかけました……組織委員会と報道陣はひどく憤慨していましたが、私は自分の取った行動を後悔していません。なぜなら、日本の大会返上がさらに6カ月も遅れれば、どの国もオリンピックを開催できなくなるからです》(橋本一夫『幻の東京オリンピック講談社学術文庫