小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2106虹を見た朝に 自然との対話/五輪をめぐって

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 今朝8時前、短い時間でしたが、調整池の向こう側に「冬の虹」が立ちました。短い時間と書いた通り、私が歩いている間の5分程度で消えてしまいました。まさに「冬の虹消えむとしたるとき気づく」(安住敦)の句通りの、幻のような虹でした。その間、周辺は霰(あられ)が舞っていました。冬の虹は何を語るのでしょうか。光の春が近づく中で、世界では不穏なことが続いています。きょうのブログは、こうした世界の動き、特にスポーツ選手のドーピング問題を中心に、少しだけ姿を見せてくれた冬の虹と架空の対話を試みてみました。(以下、虹と私で表記)

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 私 きょうはどうしたのですか。急に姿を現しましたね。

 虹 私が出るのにちょうどいい状況があったからですよ。少しだけ雨が降ったことで、太陽さんの光が雨粒の中で屈折したのです。

 私 そういえば、霰の前に天気雨のような雨が降りましたね。登校中の子どもたちはあなたに気が付かなかったみたいですよ。

 虹 それは残念でした。まあ、でもあなたのような、散歩途中の人が少しは気が付いてくれたかもしれません。それでいいのです。

 私 いま人類はコロナという病気と長い闘いを続けているのですが、あなたを見て少し気が休まりました。

 虹 そうですね。今の世界はいろいろなことが起きていますね。見ていて気の毒です。それにしても、ロシアをめぐる話題が中心のように見えますね。

 私 ロシアのウクライナ侵攻問題と北京五輪のカミラ・ワリエワ(15)のドーピング(薬物)問題ですね。ロシアのウクライナへの侵攻の構えはウクライナNATO加盟=欧州化を防ぐためと言われていますが、プーチンが自分の独裁体制を維持するための作戦という見方もありますね。しかしロシアに対する世界の評価はソ連時代のハンガリー動乱プラハの春、アフガン侵攻同様、地に落ちることは間違いないでしょう。今、ロシアと米国を中心としたNATO側が駆け引きをしていますが、外交で決着することを願うばかりです。

 虹 私は北京五輪の開会式にロシアのプーチン大統領が出席したことが不思議でなりませんでした。ロシアは国ぐるみで多くの選手にドーピングを続けたことの責任を問われ、国としての参加はできずにロシアオリンピック委員会(ROC)の名前で選手の参加が許されているはずです。それなのに、のこのこと開会式に出るプーチンプーチンだし、招待する中国も中国です。国際オリンピック委員会(IOC)は完全になめられていますね。

 私 ワリエワの個人フィギュアへの出場を認めたスポーツ仲裁裁判所(CAS)の結論も不可解ですね。16歳以下ならドーピングをしても試合に出場させるとい悪い前例をつくってしまいました。ロシアのテレビは「ロシア外交の勝利だ」と放送したそうですが、この問題の経緯はどう見ても疑問が多く、気持ちがすっきりしません。ワリエワ側が、心臓に持病を持つ祖父と同じグラスを使って薬の成分が体に入ったという、子どもだましのような言い分をCASの聴聞会で主張したという報道もありますね。いずれにしろ前のブログでも書いた通り、爽やかさとは縁遠い、薄気味の悪い話題です。

 1988年のソウル五輪陸上百メートルで当時の世界新記録(9秒79)を出して優勝しながら、ドーピング検査で陽性反応が出て失格になったベン・ジョンソン(ジャマイカ出身でカナダ国籍)のことを思い出しました。私は当時、社会部の五輪担当デスクをやっていましたので、忘れることができないニュースです。彼はその後陸上競技界から事実上永久追放となり、ドーピングと言えば、必ず名前が出てくる不名誉な人生を送らざるをえませんでした。ワリエワもドーピングの歴史に名前が刻まれてしまいましたね。北京五輪の最大の話題がバッドニュースというのは、この五輪を象徴していると思います。

 虹 その通りですね。私はフランスの哲学者ジャン・ジャック・ルソーの「自然に帰れ」という考え方に共感します。百科事典にはこんなふうに出ています。「自然は人間を善良、自由、幸福なものとしてつくったが、社会が人間を堕落させ、奴隷とし、悲惨にした。それゆえ自然に帰らなければならない。人間の内的自然、根源的無垢(むく)を回復しなければならない、というのである。これはいうまでもなく、原始的未開状態への逆行を意味するのでもないし、またいっさいの悪を社会の罪にして、人間の責任を不問にするのでもない。ルソーはあくまで社会を人為の所産とみて、社会悪の責任を人間に問うのである」(小学館・日本第百科全書=ニッポニカ)。どうですか?この考えは古臭いですか。

 私 いや、そんなことはありません。現代にも通じる考え方だと思います。15歳の少女にスポーツ選手として禁止されている薬物を使わせるのは自然ではなく、悪魔のささやきに同調したものだといえるでしょうね。

 虹 遊歩さん(私のこと)は、スポーツは爽やかさが一番大事だと言っているようですが、私は昨日、日本人選手が敗者になった2つの競技にそれを感じましたね。男子のスキー複合と女子のスケートパシュート決勝です。

私 私もテレビで見ていました。パシュートは最後のカーブで高木菜那選手が転倒して銀メダル、複合はゴール近くまでトップだった渡部暁斗選手が2人に抜かれて銅メダルになりましたね。限界まで全力を尽くして高木選手は倒れ、渡部選手は抜かれてしまいましたが、見ていて心に残る競技でした。これぞオリンピックだと思いました。

 虹 古代オリンピック讃歌といわれるピンダロスの「祝勝歌集/断片選」(内田次信訳・京大学術出版会)という詩の中に考えさせられる言葉があります。「はかない定めの者たちよ!人とは何か?人とは何でないのか?影の見る夢――それが人間なのだ」です。

 私「影の見る夢――それが人間なのだ」。なかなか含蓄がありますね。ドーピング問題の本質をついているように感じます。

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