小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1992 心和む風景 畑おじいさんからのあいさつ

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 散歩をしていたら、写真のような掲示をしている家があった。このブログで以前、玄関脇に1坪ほどの田んぼを作り、稲を育てている家があることを書いたことがある。(下段の関連ブログ参照)この掲示は、この家の主が書いたようで、最後には「畑のおじいさん」より、とあり、道行く人を楽しませている。

 この家は平屋の一軒家で、家族の中には高齢のご夫妻もいる。庭が広く、ご主人の方が畑仕事をしている姿をよく見かける。野菜や草花を育てており、通りかかった人がしばしば声を掛けるようで、こんな掲示をしたのだろう。登下校の小学生も庭のわきの道を通り「畑おじいさん」と呼んでいるようだ。

「みなさま おはようございます。いつもお声をかけていただき、ありがたく感謝しています。大人も子供も笑顔で明るく、楽しく、コロナに注意、足元注意 元気で行き、帰ってネ、今日もどうぞよろしくお願いします」。短くとも温かい気持ちにさせてくれる文章だ。畑仕事を楽しみながら、通りがかりの人との会話も楽しむ姿は、昔話の花咲かじいさんを彷彿とさせるではないか。

 このところ新聞、テレビを見ていると、明るい話題は少ない。コロナ禍、ミャンマー情勢、不祥事続きの東京五輪……。《新聞を読まなくなってから、私は心がのびのびし、ほんとに快い気持ちでいます。人々は他の人のすることばかり気にしていて、自分の手近の義務を忘れがちです。》81歳になった文豪ゲーテの言葉である。暗い世相とはいえ、畑おじいさんのような人もいるし、散歩するのはなかなかいい。

 家に戻ると、居間にある鉢植えのコーヒーの木に白い花が咲いていた。以前はかなり咲いていたが、思い切って整枝をしたらここ数年花を見ることはなかった。花は少ないので実をつけるかどうかは分からない。それでもコーヒーの木が元気を取り戻したことの表れなのではないか。コーヒーは漢字で「珈琲」と書く。この当て字を考えたのは、江戸後期の津山藩医の蘭学者で植物学者の宇田川榕菴(1798~1846)といわれている。

 コーヒーの木の枝についた赤い実の姿が女性の髪に飾る「かんざし」に似ているためで、珈は髪に挿す花のかんざし、琲はかんざしの玉をつなぐ紐を表しているという。もう少し暖かくなると、庭の一角で珈琲(おじいさんのために漢字で書きます)を飲む畑おじいさんの姿が見られるかもしれない。

 注・宇田川は元素、酸素、窒素、水素、炭素、分析、気化、酸化、酸、アルカリ、中和、塩、酸化物など今日使われている化学の基礎的用語も考案し「江戸期の超一流の学識者」(小学館・日本歴史大辞典)と位置づけられているそうだ。


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