小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

芸術

1456 カラヴァッジョの心の闇 逃亡犯の絵画芸術

殺人犯として追われるほど破天荒な生活をする一方、バロック絵画の創始者として名を残したのは、イタリアのミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571-1610)である。国立西洋美術館で開催中の「カラヴァッジョ展」(カラヴァッジョ作品…

1208 いまも色あせない芸術作品 モネとマーク・トゥインに触れる

偶然だが、この1週間に2人の個性的な芸術家の世界を垣間見る時間を持った。フランスの画家・クロード・モネ(1840年11月14日―1926年12月5日)の作品を中心にした「「モネ、風景をみる眼」展(国立西洋美術館)を見、「トム・ソーヤの冒険」で…

1200 真贋入り混じった現代社会 別人が作曲した希望のシンフォニー

芸術作品の真贋問題でよく知られているのは古陶器の永仁の壺事件(1960年)だ。鎌倉時代の古瀬戸の傑作として国の重要文化財に指定された永仁二年の銘があった瓶子(へいし・壺の一種)が、実は陶芸家加藤唐九郎の現代作であることが発覚し、大騒動にな…

1078 老いることはこうも悲しい 「山田洋次監督の「東京家族」

老いるということは、こうも悲しいのだろうか。この映画を見て、そう思った。人は喜んで老いているわけではない。だが、だれもがいつしか老いていき、社会からも家族からも余計な存在として扱われてしまう。 一人暮らしを選択した主人公(橋爪功)のラストシ…

1074 子どもは風の子 山頭火「雪をよろこぶ児らにふる雪うつくしき」

子どものころ、「子どもは風の子、大人は火の子」ということわざを聞いたことがある。いまでは、あまり通用しないかもしれない。 その意味は、「子供が冬の寒風もいとわずに、元気に戸外で遊ぶことをいうたとえ」だそうだ。大人は子どものころを忘れて、暖か…

1071 文芸全般に挑み続けた太く短い生涯 ドナルド・キーンの「正岡子規」 年末年始の本(3)

日本文学と日本研究で知られる米国人のドナルド・キーン(90)が東日本大震災後、日本国籍を取得して、日本に永住したことに感銘を受けた人は多かったのではないか。その近著である「正岡子規」(新潮社、角地幸男訳)は、結核と闘いながら俳句、短歌、新…

1068 遠い初富士を見る 「小寒」の散歩道

「初富士のかなしきまでに遠きかな」 山口青邨 暮れに子宮摘出の手術をした我が家の犬は術後の経過が優れない。長い散歩には付き合わせることができないので、このところ一人で散歩をしている。きょう5日は「小寒」。寒いのは当然だ。高台の道を歩いている…

1030 放浪の旅の本を読む 「悼む人Ⅱ」と「山頭火句集」

最近、読んだ2冊の本について書く。天童荒太の直木賞受賞作「悼む人」の続編「静人日記 悼む人Ⅱ」(文春文庫)と、漂泊の俳人といわれた種田山頭火の「山頭火句集」(ちくま文庫)である。 前者は事故や事件で命を亡くした人を悼むために放浪する若い青年の…

1025 トルコの小さな物語(8) 音楽家には鬼門のフランクフルト 税関に芸術は通じない時代なのか

海外を旅したことは、そう多くはない。テロ、ハイジャック、密輸防止のためとは分かっているが、空港での検査はやはり不愉快だ。スリランカのコロンボ空港(正式名称・バンダラナイケ国際空港)では、税関職員を装った(あるいは税関職員かもしれない)男に…

1012 ああフェルメールよ 残暑の中の絵画展にて

日本人のフェルメール(ヨハネス・フェルメール、オランダ、1632-1675)好きは相当なものだと思う。「真珠の耳飾りの少女」と「真珠の耳飾りの女」(こちらもパンフには少女とあったが)という2つの作品が展示された上野の森にある東京都美術館と…

1011 共通する叫び・ムンクと飛鳥さんの絵 東日本大震災から1年半に思う

きょうで東日本大震災から1年半が過ぎた。先日、大きな被害を受けた宮城県石巻市の沿岸部に行ってきた。がれきが撤去された中心部から沿岸部に入ると、津波で壊されたままの数多くの廃屋がそのまま残っていた。人が戻ることがないこの地区が将来どのような…

987 寺田寅彦と正岡子規 高知県立文学館の「川と文学」展にて

高知市にある高知県立文学館をのぞいた。「川と文学」という企画展が開かれていた。高知出身の作家や高知にゆかりのある作家、高知を舞台にした文学作品に関しての資料が展示されていた。それにしても高知県にゆかりのある文学者の多いことに驚いた。 井伏鱒…

974 不来方のお城にて 旅の友とともに「ドーン」「天地明察」「苦役列車」

「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸われし十五の心」 盛岡に行ってきた。梅雨の晴れ間、盛岡城跡公園から市内を見ると、後方に雪を抱いた岩手山がそびえている。 公園をぶらつくと、有名な石川啄木の歌碑の汚れを落としているボランティアの姿があった。…

973 人生讃歌・画家の夢 シャガールの愛をめぐる追想展

「愛の画家」といわれるマルク・シャガール展が日本橋・高島屋で開かれている。日本未公開作品を中心にした「愛をめぐる追想」という名前がついた企画展だ。 一方、長崎県美術館でもほぼ同期間に「愛の物語」というシャガール展が開催中で、97歳まで生きた…

953 絵のモデルになりました hanaの4月のつぶやき 9歳のゴールデンレトリーバーです

「一芸に秀でる者は多芸に通ずということわざがある。ある分野を極めた人は他の分野でも優れた才能を発揮することができるという意味だよ」。 旅行先から、大きな荷物を持って帰ってきたお父さんが、その荷物をほどきながら、こんなことを言っていました。ひ…

868 「凛」として生きる日本へ 平松礼二の「祈り」を見る

3・11は、多くの日本人に打撃を与えた。被災地の人々だけでなく、被災地から離れて生きる私たちもその例外ではない。日本画家の平松礼二は、大震災被災者への思いを「2011311-日本の祈り」という作品に込めたのだという。荒れ狂う海に囲まれ、花…

860 高貴な氷河の青い色 北欧じゃがいも紀行・5

地球の温暖化によって、北極の氷が溶け出しているというニュースが時々流れる。それによって将来、地球上の生態系に大きな影響を与えるのではないかという議論が続いている。ノルウェーの氷河を見ながらこの氷も次第に溶けているのではないかと思い、麓の川…

856 原発事故を想起するムンクの「叫び」 北欧じゃがいも紀行・1

ノルウェーの首都、オスロの中心部にある国立美術館でエドヴァルド・ムンクの油絵「叫び」を見た。世の中の不幸を一身に背負ったような、独特なタッチの人物と赤く染まったフィヨルドの夕景が不気味であり、つい福島原発事故で避難を余儀なくされた人たちの…

847 2月の印象 国立新美術館の日美展を見る

東京・乃木坂の国立新美術館で開催されている「第12回日美絵画展」をのぞいた。友人の田口武男さんの作品がが日本画部門の秀作に選ばれ、展示されたからだ。 公益財団法人国際文化カレッジの主催で入選した2000点を展示するという大きな美術展だった。…

844 心に響く「歌」と「絵」 やすらぎをもたらす2つの美

ことしは本当にため息を吐いた。それは私だけではないはずだ。多くの日本人が行く末を不安に思い、東日本大震災で避難生活を余儀なくされている人たちのニュースに接し、体に悪いため息を吐いている。それは、まだ当分続くだろう。 そうした悩める魂を救うの…

831 友人の受賞に笑顔を戻したい 日美展の「2月の印象」

正直なところ、東日本大震災以来、心の底から笑ったことはない。体に悪いと知りつつ、被災地のこと、原発事故のことを思うと軽々に笑うことはできないと思ってしまうのだ。「笑いの自粛」みたいな感覚なのか。 退陣を迫られ「ペテン師」と言われても、土俵際…

404 若い画家とオペラ歌手家田紀子さん 優雅な時間

詩人の飯島正治さんには、画家になった誠さんという自慢(私の想像だが)の息子がいる。その誠さんが京橋の画廊で「記憶と光彩」という個展を開いた。 2月の終わりの夕方、画廊に向かった。ほっそりとした青年が1人、画廊に立っている。どことなく父親の正…

275 人は何のために生きるのか 根源に迫る汐留のアウトサイダーアート展

東京・汐留の松下電工ミュージアムで24日から「アール・ブリュット/交差する魂」と題したささやかな展覧会が開かれている。アウトサイダーアートといわれ、正規の美術教育を受けていない人たちの作品展だ。同じ会場で開かれたアウトサイダーアートのフォーラ…

263 東山魁夷の世界との出会い

東京から水戸に向かい、水戸でJR水郡線に乗り換え、奥久慈地方(茨城県北部-福島県南部)を旅した。 ソメイヨシノは終わっている。だが沿線には八重桜やカスミ桜が咲き、新緑の山は遠くが霞み、東山魁夷の絵を見ているような錯覚さえ覚える。 奥久慈地方は…

239 衝撃の美術展 近江八幡の障害者アートを見る

ランニングシャツに半ズボン、背中にリュックを背負って日本全国を放浪しながら、個性あふれる絵を描いた山下清画伯は有名だ。その才能はだれにも愛された。 その山下画伯以上か同等の才能を持ち、自分のために作品を作り出す人々がいま注目を集めている。ア…