小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2101 医師受難の時代に「ひとすじの道」への思い

           

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 医師の受難が続いている。コロナ禍で多くの医師たちが多忙を極めている中、埼玉県ふじみ野市で猟銃を持った男が在宅訪問診療の医師を射殺した事件が起きた。大阪では12月、北区の心療内科クリニックで患者の男がガソリンを使って放火、院長ら25人が殺害されるという悲惨な事件があった。意識不明になった男もその後死亡し、詳しい事件の解明はできなくなった。

 不条理といっていい出来事だ。2つの事件に共通するのは、昔読んだイギリスの作家、イギリスの作家で医師A・J・クローニン(1896~1981)の「ひとすじの道」という作品に出てくる医師像だ。

 以前、拙ブログに書いたこの作品のことを要約する。

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《「ひとすじの道」は、クローニンの自伝的長編小説『人生の途上にて』の中の2つをまとめたものだ。若い主人公がイギリスの田舎町の町医者の所に雇われ、苦労しながら成長する。町医者も主人公も私は好きになった。町医者は酒が好きでけっこういい加減だし、主人公はひた向きすぎる。それが失敗にもつながるのだが、それはそれでいい。医者の理想は何だろうか。出発点はいろいろだろう。親が医院を営んでいるので、その子供も跡を継ごうとするかもしれない。大事な人を早くに失い、失意の中で少しでも命を救おうと思ったのかもしれない。頭がよかったので、たまたま医学部を受けたら合格した人もいるだろう。

 スタートはどんなでもいいと思う。だが、大事なことは、医は仁術であり、ヒューマニズムが第一なのだ。中国やミャンマーでは、いま多くの命を守ろうと医師たちが苦闘の日々を送っている。(注・この年、ミャンマーではサイクロン、中国では四川大地震が起き、多くの犠牲者が出た)

 医者はともすれば、患者を見下す。それは、勘違いなのだ。そうした思い違いをしている医者はクローニンの作品を読むべきだと思う。

 少年時代、私はある盲腸の手術で入院した。そのときに出会った医者は恐い顔をして、口も悪い。私は家族が来ると「あのくそ医者!○○太郎」と医者の名前を呼び捨てにして悪口を言った。彼は苗字よりも、名前で「○○太郎先生」と呼ばれ、評判は悪くはなかった。口は悪くても実は心は優しく、クローニンの小説の町医者によく似ている人だった。》

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 各種の報道を見ると、今回の事件で命を失ったふじみ野市の医師鈴木純一さん(44)も大阪の医師西沢弘太郎さん(49)も「ひとすじの道」の町医者、そして私が世話になった〇〇太郎先生と同じ道を歩んだ人ではなかったかと思う。理不尽、不条理、無慈悲……。2人に掛ける適切な言葉は見当たらない。

 コロナ禍の時代に起きた陰惨な事件。コロナ禍によって社会が病んでいるという時代背景があるとはいえ、やりきれないと思うのは私だけではないだろう。一方で、こんな時でも私の近所では医者の豪邸が作られている。この人は何を考えて医療行為をしているのだろうか。責めるわけではないが、疑問が尽きない。