小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

歴史

1837 ゴッホは何を見て、何を描きたかったのか 映画『永遠の門』を見る

絵画の世界でレオナルド・ダ・ヴィンチ、ピカソと並びだれでもが知っているのが「炎の人」といわれるフィンセント・ファン・ゴッホだろう。では、ゴッホはどんなふうに描こうとする風景を見ていたのだろう。それを映画化したのが『永遠の門 ゴッホの見た未来…

1834 それぞれに思い描く心の風景 シルクロードと月の沙漠

歌詞がロマンチックな「月の沙漠」は、昭和、平成を経て令和になった現代まで長く歌い継がれている童謡である。この秋、中国・シルクロードを旅した知人が、月の沙漠を連想する場所に立ち、旅行記の中で書いている。日本には千葉県のリゾート地、御宿町の御…

1830 思い出の首里城への坂道 沖縄のシンボルの焼失に衝撃

那覇市の首里城が火災になり、中心的存在の正殿、南殿、北殿など計7棟(4800平米)が焼失した。「首里の城は私たちの心の支え」と沖縄の人々が語るほど、この城は沖縄の象徴でもある。私は昨年末から今年の正月を首里で過ごし、毎日、城の周辺を散歩し…

1829 本を繰り返し読むこと ヘッセ『郷愁』とともに

高橋健二訳・ヘルマン・ヘッセの『郷愁』(新潮文庫)は、まさしく名著である。アルプスの高山に囲まれ、美しい湖水風景が広がるスイス山間部の小さな村に生まれ、成長するペーター・カーメンチントという主人公の自己形成史ともいえる、透明感にあふれる作…

1827 郷愁と失意と 秋の名曲『旅愁』を聴きながら

東日本に上陸し大きな被害を出した台風15号と19号。新聞、テレビの報道を見ていると、復旧は容易ではないことが分かる。原発事故の福島が今回の災害でも一番被害が大きかったことに心が痛むのだ。私は台風の夜、アメリカの曲に犬童球渓(1879~19…

1824 国籍と政治性排除のはずが ノーベル賞お祝い報道に?

今年のノーベル化学賞に、スマートフォンや電気自動車に使われるリチウムイオン電池を開発した吉野彰さん(71)ら3人に贈られることが決まった。何よりのことである。吉野さんの受賞で日本のノーベル賞受賞は27人目になるという。しかし、アレフレッド…

1823 生後半年で死んだ妹のこと 知人の続・疎開体験記

ことし7月、知人の疎開体験記をこのブログに掲載した。知人にとって、自分史の一部である。今回、知人の許しを得て疎開後に起きた妹の死の記録を掲載する。(登場人物は一部仮名にしております) 仏教用語で「会者定離」(えしゃじょうり)という言葉がある…

1822 400勝達成の裏で 金田に贈る川上の言葉

プロ野球で大選手(大打者)にして大監督といえば、川上哲治と野村克也の2人だろう。6日に86歳で亡くなった金田正一は、前人未到といわれる400勝を達成し日本では最高の投手といえる。ロッテを率い日本一も経験したが、監督の力量としては川上と野村…

1821 多くは虚言なりか 闇深き原発マネーの還流

吉田兼好の『徒然草』第73段に「世に語り伝ふること、まことにあいなきにや、多くはみな虚言(そらごと)なり」という言葉ある。国文学者の武田友宏は角川ソフィヤ文庫の『徒然草』で、この段を「『うそ』の分析」と題し解説を加えている。関西電力高浜原…

1819 おいおい! 関西電力よ  理不尽・不正義まかり通る時代

「おいおい、どうなっているの?」と言いたいほどの、驚いたニュース。関西電力会長、社長ら20人に原発立地の福井県高浜町の元助役から3億2000万円分の金品が渡されていた。逆の場合ならありそうなことだが、こうした資金還流もあるのだからびっくり…

1817「わが亡き後に洪水よ来たれ」 虎の威を借る狐とヒトラー

「わが亡き後に洪水よ来たれ」という言葉について、23日付けの朝日新聞・天声人語は「人間の無責任さを示す言葉」として紹介している。原文はフランス語で「「Après moi, le déluge」で、「後は野となれ山となれ」と訳されることもあるそうだ。いずれにして…

1816 正義の実践とは 東電旧幹部の無罪判決に思う

机の後ろの本棚に『ことばの贈物』(岩波文庫)という薄い本がある。新聞記事やテレビのニュースを見ながら、時々この本を取り出して頁をめくる。そのニュースに当てはまる言葉ないかどうかを考えるからだ。福島第一原発事故をめぐる東電旧経営陣3人に無罪…

1813 天災と人災「小径を行く」14年目に

台風15号によって私の住む千葉県は甚大な被害を受けた。中でも大規模停電は、昨年北海道地震で起きた「ブラックアウト」の再現かと思わせた。東京電力によると、全面復旧にはまだかなりの時間を要するという。これほど深刻な災害が起きているのに、なぜか…

1809「おりた記者」から作家になった井上靖 適材適所のおかしさ

このブログで時々言葉について書いてきた。今回は「常套(じょうとう)語」である。「套」は内閣告示の常用漢字表にないことから、報道各社の用語集(たとえば共同通信記者ハンドブック)では、これを「決まり文句」に言い換えることになっている。しかし、…

1808 文明風刺『ガリバー旅行記』 邪悪な生物ヤフーは現代も

『ガリバー旅行記』(作者はイギリスのジョナサン・スウィフト)のガリバーは、日本を訪れたことがあるか? 答えは「イエス」である。イギリス文学に造詣の深い人なら常識でも、児童文学でこの本を読んだ人は、「へえ、そうなのか」と思うだろう。ガリバーが…

1807 戻らぬ父の遺骨と労苦の母 俳句と小説に見る戦争

8月16日のブログ「1804 政治の身勝手さ感じる8月 民意との乖離のあいさつ」の中で「戦没者の遺骨収集問題に触れた安倍首相の挨拶はうわべだけの誠意にしか聞こえなかった」と書いた。25日付朝日新聞の俳壇に「父の骨なほジャングルに敗戦忌」とい…

1805 幻想の城蘇る 生き残ったノイシュバンシュタイン城

「私が死んだらこの城を破壊せよ」狂王といわれ、なぞの死を遂げた第4代バイエルン国王ルートヴィヒ2世(1845~1886)の遺言が守られていたなら、ドイツ・ロマンチック街道の名城、ノイシュバンシュタイン城は消えていた。この城を描いたラジオ体…

1804 政治の身勝手さ感じる8月 民意との乖離のあいさつ

広島、長崎の原爆の日と終戦の日を送って、74年前の出来事をそれぞれに思い出した人が多いだろう。共通するのは、戦争は2度と繰り返してはならないということだと思う。原爆犠牲者の慰霊式典(広島は平和記念式典=広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念…

1801 カザルスとピカソ 「鳥の歌」を聴く

CDでチェロ奏者、パブロ・カザルス(1876~1973)の「鳥の歌」を聴いた。「言葉は戦争をもたらす。音楽のみが世界の人々の心を一つにし、平和をもたらす」と語ったカザルスは、1971年10月24日の国連の日に国連本部でこの曲を演奏した。カ…

1799 損傷したモネの大作《睡蓮、柳の反映》AI技術で浮かび上がる復元画

原型をとどめないほど上半分が消えた1枚の絵。修復したとはいえ、その損傷が激しい大作を見て、画家の嘆きの声が聞こえてくるようだった。東京上野の国立西洋美術館で開催中の「松方コレクション展」。その最後に展示されているのが60年間にわたって行方…

1798 チャーチルとジョンソン 英国首相の未来

ウィンストン・チャーチルといえば、英国の元首相で20世紀を代表する政治家の1人といっていいだろう。政治家でありながら、1953年には「第二次大戦回顧録」を中心とする著作活動でノーベル文学賞を受賞している文人でもあった。欧州連合(EU)から…

1797 時間に洗われ鮮明になった疎開体験 「カボチャとゼンマイえくぼ」のこと

改元で平成から令和になり、昭和は遠くなりつつある。多くの国民が未曽有の犠牲を強いられた戦争が終わって74年になる。時代の変化、世代の交代によって戦争体験も確実に風化している。しかし、当事者にとって歳月が過ぎても決して忘れることができないも…

1796 京都の放火殺人・あまりの惨さに慄然 人の命はかくもはかないのか

34人が死亡し、34人が重軽傷を負った京都アニメーションに対する放火殺人事件は、日本の犯罪史上、稀に見る凶悪事件と言っていい。放火容疑者は病院に収容されているが、回復して動機の解明ができるのだろうか。放火による多数の犠牲者というニュースに…

1794 新聞と誤報について ハンセン病家族訴訟・政府が控訴断念

朝の新聞を見ていたら、「ハンセン病家族訴訟控訴へ」という記事が一面トップに出ていた。朝日新聞だ。ところが、朝のNHKや民放のニュース、共同通信の記事は「控訴断念の方針固める」と正反対になっている。どちらかが誤報なのだろうと思っていたら、安…

1793 日本は言葉の改まりやすい国  中日球団の「お前」騒動と日本

プロ野球、中日の攻撃の際に歌われる応援ソングの中に「お前が打たなきゃ誰が打つ」という言葉があるそうだ。この「お前」という部分に与田監督が「選手がかわいそうだ」と違和感を示し、応援団がこの歌を使うのを自粛したというニュースが話題になっている…

1791 続スティグマ助長の責任は 熊本地裁のハンセン病家族集団訴訟

熊本地裁は28日、ハンセン病元患者の家族の集団訴訟で、国に責任があるという判決を言い渡した。当然のことである。国の誤った隔離政策で差別を受け、家族の離散などを強いられたとしてハンセン病の元患者の家族561人が国を相手に損害賠償と謝罪を求め…

1790 マロニエ広場にて 一枚の絵にゴッホを想う

近所にマロニエ(セイヨウトチノキ)に囲まれた広場がある。その数は約30本。広場の中心には円型の花壇があり、毎朝花壇を囲むように多くの人が集まってラジオ体操をやっている。私もその1人である。既にマロニエの花は終わり、緑の葉が私たちを包み込ん…

1789 雨の日に聴く音楽 アジサイ寺を訪ねる

きょうは朝から雨が降っていて湿度は高い。ただ、午後になっても気温は約21度と肌寒いくらいだ。それにしても梅雨空はうっとうしい。CDでショパンの「雨だれ」(前奏曲15番 変ニ長調)をかけてみたら、気分がさらに重苦しくなった。仕方なく別のCDをか…

1788 屈原と気骨の言論人 ある上海旅行記から

「私はどうしても屈原(くつげん)でなければならぬ。日本の屈原かもしれない」という言葉を残したのは、明治から昭和にかけての言論人、菊竹淳(すなお、筆名・六皷=ろっこ・1880~1937)である。屈原は、このほど上海周辺を旅した知人の旅行記に…

1787 愉快な戦争はほかにないと子規 激しい日本語の野球用語

「実際の戦争は危険多くして損失夥し ベース、ボール程愉快にてみちたる戦争は他になかるべし」。正岡子規は元気だった学生時代のころ野球に熱中し、随筆「筆まかせ」に、こんなふうに記した。子規が愉快な戦争と書いた野球だが、日本語の野球用語には解説者…