小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1801 カザルスとピカソ 「鳥の歌」を聴く

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 CDでチェロ奏者、パブロ・カザルス(1876~1973)の「鳥の歌」を聴いた。「言葉は戦争をもたらす。音楽のみが世界の人々の心を一つにし、平和をもたらす」と語ったカザルスは、1971年10月24日の国連の日に国連本部でこの曲を演奏した。カザルスは当時94歳という高齢で、演奏を前に短いあいさつをした。それは後世に残る言葉になった。

「私はもう40年近く、人前で演奏をしてきませんでした。でも、きょうは演奏する時が来ていることを感じています。これから演奏するのは、短い曲です。その曲は『鳥の歌』と呼ばれています。空を飛ぶ鳥たちはこう歌うのです。『ピース ピース ピース』 鳥たちはこう歌うのです『ピース ピース ピース』『ピース ピース ピース』『ピース ピース ピース』」  

 カザルスはスペイン北東部のカタルーニャ出身で、スペイン内戦が始まるとフランスに亡命、さらにプエルトリコに拠点を移して活動した。内戦後、誕生したフランコ独裁政権に対し抗議の姿勢を崩さず、音楽を通じて世界平和を訴え続けたことでも知られている。「鳥の歌」は生まれ故郷であるカタルーニャ地方の民謡を編曲したもので、静かでゆったりとした中に平和への祈りが込められているといわれる。  

 カザルスと同じパブロという名を持つピカソ(1881~1973)も同じスペイン出身(南部のアンダルシア)だ。フランコによる反乱軍のクーデターを契機に起きたスペイン内戦で、フランコに加担したナチス・ドイツが1937年4月26日、北部の小都市、ゲルニカ空爆した。一般市民を巻き込む無差別攻撃によって多くの犠牲者が出たことをパリで知ったピカソは怒り、「ゲルニカ」という反戦をテーマにした大作を描いた。この原画はパリの万国博覧会で展示された後、ニューヨーク近代美術館(MoMA)に保管され、フランコ死去後のスペインに戻り、現在は1992年9月マドリードに開館した国立ソフィア王妃芸術センターに展示されている。  

 この絵のタペストリー(同じ図柄の壁画)は、国連の安全保障理事会会議場のロビーの1点を含めて3点制作された。2003年2月、アメリカのパウエル国務長官の記者会見の際には国連のタペストリーが暗幕によって隠されるという出来事があり、原田マハの『暗幕のゲルニカ』という小説のテーマにもなった。当時、アメリカは大量破壊兵器を所有している疑いのあるイラクに対し軍事攻撃に踏み切るかどうか注目を集めていた時期で、パウエルはその証拠を示すための会見を開いたのだが、米国政府の高官に忖度しただれかが、反戦画であるゲルニカタペストリーに暗幕を掛けてしまったのだ。イラクを軍事攻撃したアメリカはバクダッドを制圧した。だが、大量破壊兵器が発見されなかったことは周知の事実である。

 国連で演奏をしたカザルスは、同じスペイン出身のピカソゲルニカタペストリーを見たに違いない。ほぼ同時代を生きた2人のパブロが亡くなったのは、奇しくも同じ1973年(ピカソ4月8日、カザルス10月22日)のことだった。生前、偉大な芸術家である2人に接点があったかどうかは分からない。

 21世紀。国家の論理が幅を利かせ、自国第一主義の傾向がますます強くなっている。隣国、韓国との関係が危うい。こんな時代、カザルスの音楽とピカソの絵は、こうした世界の流れに自制を促しているように思えてならない。  

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