小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1804 政治の身勝手さ感じる8月 民意との乖離のあいさつ

 
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 広島、長崎の原爆の日終戦の日を送って、74年前の出来事をそれぞれに思い出した人が多いだろう。共通するのは、戦争は2度と繰り返してはならないということだと思う。原爆犠牲者の慰霊式典(広島は平和記念式典=広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式、長崎は平和祈念式典)と終戦の日の全国戦没者追悼式の安倍首相のあいさつを聞いていて、民意と違っていることに違和感を覚えた。政治とは民意を反映するはずなのに、どうみても違うからだ。  

 広島、長崎の式典で、両市の市長は平和宣言の中で日本政府が背を向けている核兵器禁止条約に、唯一の被爆国として署名することを求めた。だが、安倍首相はあいさつで、この条約に触れることはなく、核兵器国と非核兵器国の橋渡しに努めると述べた。式典後の記者会見では「条約は保有国、非保有国の立場の隔たりを深め、核兵器のない世界の実現を遠ざける。わが国のアプローチと異なる」と語った。では具体的に核兵器国と非核兵器国の橋渡し(仲介役)として、何をやったのだろうか。米国の核の傘の下で、米国の動向を上目遣いに見ているばかりで何もしていないのが実態といえるだろう。  

 被爆地の人々は、核なき世界を求めているのが民意なのに、それを認めようとしない姿勢は沖縄・名護への米軍飛行場建設問題と共通するものだ。終戦の日の式典では、天皇陛下が「ここに過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い」と、戦争に対する「反省」を「おことば」の中に入れていた。一方の首相は、アジア諸国への加害責任と反省について、ことしも触れることはなかった。戦没者の遺骨収集問題もうわべだけの誠意にしか聞こえなかった。  

 この問題について、首相は「いまだ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも決して忘れません。ご遺骨が一日も早くふるさとに戻られるよう、私たちの使命として全力を尽くしてまいります」とも語った。フィリピンやシベリアで収集した遺骨が日本人ではない可能性が高いというニュースが流れており、とても遺骨収集に全力を尽くしているとは思えない。海外戦没者240万人中112万人が未収容のままの状況にあり、フィリピンで戦死した私の父やシベリア抑留中に亡くなった友人の父親の遺骨も帰ってきていない。  

 今あちこちで「テッポウユリ」が咲いている。花の形がラッパのような筒状で、鉄砲の形に似ているため、こんな名前になったそうだが、花自体は美しく、名前の物騒さとは縁遠い。花言葉は「正直、純潔、偽らない、無垢」だという。この花を見ていると、反省という言葉を知らない政治家たちの不誠実さ、身勝手さを感じてしまうのである。

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