小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1809「おりた記者」から作家になった井上靖 適材適所のおかしさ

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 このブログで時々言葉について書いてきた。今回は「常套(じょうとう)語」である。「套」は内閣告示の常用漢字表にないことから、報道各社の用語集(たとえば共同通信記者ハンドブック)では、これを「決まり文句」に言い換えることになっている。しかし、ここでは決まり文句ではなく常套語の方を使うことにする)今回は、大臣人事などでよく聞かれる「適材適所」という四文字熟語について考えてみたい。常套語の典型だと思うからだ。  

 先日、自民党所属の上野宏史厚労政務官外国人労働者の残留資格をめぐる口利き疑惑で辞任した。自身は「法令に反する口利きをした事実はない」というコメントを出したものの、記者会見など公の場での説明はしないままである。大臣や政務官の人事がある度に、首相や官房長官は「適材適所」を口にする。だが、上野氏を含めて不適材と見ていい人事が繰り返されていることは、枚挙にいとまがない。  

 朝刊には驚くべき人事が掲載されていた。政府が30日の閣議で、読売新聞グループ本社会長の白石興二郎氏をスイス大使に充てる人事を決めたというのである。官房長官は記者会見での質問に「適材適所」と説明したという。民主党菅内閣当時(2010年6月)、北京大使に総合商社、伊藤忠の元会長(当時は顧問)丹羽宇一郎氏、ギリシャ大使に野村証券顧問の戸田博史氏を充てたことがあり、民間からの大使起用もあり得るのだろう。  

 しかし、白石氏の場合、権力の監視役という使命を持つ報道機関のトップ(30日付で読売会長は退任したとのこと)だった人物である。2008年には同じ読売グループの前の会長、渡辺恒雄氏が旭日大綬章という勲章を受章している。この人事記事を見た人はどんな印象を持つだろう。私は読売と白石氏は権力の監視役という役割を放棄し、現政権と表裏一体の関係になったのではないかと受け止めた。

「適材適所」は、仕事に適した才能のある人を、その人にふさわしい地位に就けることで、どう見ても、前掲の2つのケースはこれには当てはまらないといっていい。この言葉は本来どこで使われたのだろうか。調べてみると、清国の行政法汎論の中の中央官庁編にある「専以任適才於適處爲目的」(専ら適才=適材と同じ地味=を適所に任ずるを以(もっ)て目的と為(な)す)が出典だ。これを政治家が安易に使うから、言葉としての価値を落としているのだ。  

 最近、作家の故井上靖の『美の遍歴』(毎日新聞社)を読んだ。この中で井上は「私の自己形成史 抄」という題名で新聞記者時代(毎日新聞大阪本社学芸部)を振り返っている。そこには以下のような記述があった。 「新聞社という職場は競争心を持った人たちと、競争心を放棄し、麻雀で言えばおりている人たちの2つの型が雑居しているところである。私は新聞社に入社した第一日から、好むと好まざるとに拘わらず、おりざるをえなかったのである」  

 大作家になった井上靖がと思う人が多いかもしれない。この前段で自身が病的といえるほど意気地がなく、人見知りをする性格だったと明かしている。そして「新聞社というような職場には、案外こういう性格の人たちが多い」とも記している。物おじすることなく、記者としてやっていけるようになるには10年の歳月が必要だったという井上の自己形成史は、適材適所とは無縁の世界で生きる人たちへの励ましのように思える。    

 写真 実が大きくなったマロニエ。秋が近づいている。

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