小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1824 国籍と政治性排除のはずが ノーベル賞お祝い報道に?

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 今年のノーベル化学賞に、スマートフォンや電気自動車に使われるリチウムイオン電池を開発した吉野彰さん(71)ら3人に贈られることが決まった。何よりのことである。吉野さんの受賞で日本のノーベル賞受賞は27人目になるという。しかし、アレフレッド・ノーベルは、この賞創設に関する遺言の中で「賞を与えるに当たっては、候補の国籍が考慮されてはならない」と注文を付けている。吉野さんの受賞決定に対し、首相がお祝いの電話をする日本。ノーベルの遺志とかけ離れているように思うのは、へそ曲がりの私の皮相的見方なのだろうか。  

 iPS細胞の研究で医学生理賞を受賞した京大教授の山中信弥さんが2012年10月8日、受賞の報を受けたあと、京大で記者会見した。この会見の冒頭、山中さんは「日本、日の丸の支援がなければ、こんな素晴らしい賞を受賞できなかった。まさに日本が受章した賞だ」と語った。しかしこの山中発言に、ノーベル賞委員会が激怒し、「あんな発言は絶対にしてはいけない」と異例の警告を発したのだという。ノーベル財団は受賞記念会を各国大使館や大使公邸で行うことを不快に感じていて、祝賀会の禁止令を出した時期もあったという。この話は共同通信ロンドン支局取材班編の『ノーベル賞の舞台裏』(ちくま新書)に詳しく紹介されている。    

 同書によると、山中さんに関するエピソードは、ノーベル賞委員会が政治性を排除した選考を守り抜こうとしていることを示すもので、山中さんの日本政府に対する謝辞は受賞者の功績と国家を混同したものであると書いている。ノーベル賞受賞に対し日本メディアの報道は凄まじい。「オリンピックやサッカーのワールドカップと同一視し、ノーベル賞が1つ加わるたびに、国や民族のランクが1つ上がったかのような陶酔感を味わう日本人の何と多いことか」(同書)という指摘について考えると、メディアの責任が大きいと言わざるを得ない。  

 ノーベル賞は「人類に対する貢献」が選考基準であり、ノーベルの遺書には「候補者の国籍は一切考慮されてはならず、スカンジナビア人であろうとなかろうと、もっともふさわしい人物が受賞しなくてはならないというのが、私の特に明示する希望である」と、国籍は問わないこともはっきり書かれている。こうしたノーベルの遺志は、ノーベル賞委員会に受け継がれている。しかし、平和賞をめぐって国政政治とのかかわりが指摘されていることは言うまでもない。ことし2月、米国のトランプ大統領が、北朝鮮問題で安倍首相からノーベル平和賞に推薦されたことを明らかにした。ブラックユーモアとしか思えないが、このエピソードを見ても、平和賞が国際政治に利用されていることがうかがえる。  

 吉野さんのノーベル賞受賞の記事が大きな扱いになったためか、高浜原発がある福井県高浜町の元助役から多額の金品を受け取っていた関西電力八木誠会長と岩根茂樹社長はじめ役員ら7人が辞任するニュースは扱いが地味だった。本来ならトップニュースだったから、関電にとっては「ノーベル賞様様」だっただろう。吉野さんは記者会見で「頭の柔軟さと最後まであきらめない執着心が大事」と話した。これは研究者だけでなく、学生や社会人全体に当てはまるものだと受け止めた。  

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