小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1817「わが亡き後に洪水よ来たれ」 虎の威を借る狐とヒトラー

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「わが亡き後に洪水よ来たれ」という言葉について、23日付けの朝日新聞天声人語は「人間の無責任さを示す言葉」として紹介している。原文はフランス語で「「Après moi, le déluge」で、「後は野となれ山となれ」と訳されることもあるそうだ。いずれにしても、負のイメージが強い言葉である。増え続ける財政赤字。それでも大盤振る舞いを続け、有効な手段を講ずることなく先送りを続ける政治家や官僚たちは、この言葉を信奉しているに違いないと邪推してしまう。  

 共同通信社会部の名物記者だった斎藤茂男(1928~1999)は、『父よ母よ』、『教育ってなんだ』、『妻たちの思秋期』など多くのルポルタージュ作品を残している。そのうちの一冊に『わが亡きあとに洪水はきたれ! 巨大企業と労働者』(現代史出版界)という本がある。トヨタ自動車新日鉄ソニー日立製作所などの巨大企業で働く労働者の姿を追ったルポで、1974年に書かれたこの作品を読むと、英国の作家、ジョージ・オーウェルの風刺未来小説『1984年』(1949年刊)を連想する。  

 フランス語が語源のこの言葉を題名にしたのは、後書きにあるように、働く人たちへの斎藤からのエールが込められている。この取材を終え、斎藤は「多くの労働者は、労働強度の増大によってエネルギーを消耗させられ、コンピューター導入によって増した神経的緊張と、人間の肉声や、仲間との連帯動作から隔絶された無味乾燥な孤独労働の中で疲れさせられ、あるいはまた単調労働の繰り返しや、『モノを創る』喜びから遮断された監視労働の日々に窒息する。そして若い労働者までが、急速に老廃化させられる魔力が職場を支配しているように思われる」と書いた。  

 この後斎藤は「みんな疲れてはいる。しかし労働者はいつまでも支配する側に『わが亡きあとに洪水はきたれ!』とばかり言わせているはずはない。私はあの石鹸の匂いを漂わせた、心優しく頑健な、昔ながらの労働者たちを信じているのである」とも記している。ITの発達で仕事のやり方はこのルポの当時と様変わりしたはずだ。だが、過労死が相次いでいることを見ても、過酷な労働環境は改善されたとは言えない。「働き方改革」は道半ばというよりスタートしたばかりであり、さらに「わが亡きあとに洪水はきたれ」的経営が相変わらず幅を利かせているのが現状だ。悔しいことだが、斎藤の思いは当分、叶えられそうにない。  

 冒頭の言葉は、ルイ15世の寵妾ポンパドゥール候夫人の言葉が由来だといわれる。社交界の女王だった夫人は、1745年、何人もの公妾を持ったルイ15世の目にとまり、公妾となり、大臣、将軍の任命や大使の引見をするなど、政務にまで口を出す。華美な生活は国民の憤激をかい「宮廷で宴会やお祭り騒ぎばかりやっていると、フランスの国債がふえるばかりだ』との忠告を受けたが、その際にこの言葉で反論したという。虎の威を借(か)る狐といってもいい、傲慢ぶりがうかがえる言葉だ。また、フランス軍がロスバックの戦いでドイツ軍に敗れたとき、ルイ15世を慰めるために(夫人が)言ったとも伝えられ、一方、ルイ15世自身の言葉という説など諸説がある。カール・マルクスの『資本論』でも、この言葉が引用されている。

 世界的ベストセラーであるモンゴメリ作『赤毛のアン』シリーズ3の「アンの愛情」(村岡花子訳・新潮文庫)で、大学に進学したアンが友人とともに住む家を借りる際のエピソードでも、この言葉が出ているのを思い出した。「フランス王ルイ15世の朝廷で栄華を極めたポンパドール夫人の贅沢を大臣たちが攻撃した時、この言葉で応えた」という訳注が付いている。  

 かつて、この言葉に相当する独裁者が存在した。第2次世界大戦でドイツを崩壊に導いたヒトラーだ。「この男は意図的に、余人をもって代えがたい自分をつくることに全精力をそそいた。『永遠不滅の私、さもなくば混沌あるのみ』、ようするに自分が滅びたら『後は野となれ山となれ』だった」(セバスチャン・ハフナー、瀬野文教訳『ヒトラーとは何か』草思社文庫)。これからの世界にヒトラー型独裁者が再出現しないことを願うばかりである。