小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1787 愉快な戦争はほかにないと子規 激しい日本語の野球用語

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「実際の戦争は危険多くして損失夥し ベース、ボール程愉快にてみちたる戦争は他になかるべし」。正岡子規は元気だった学生時代のころ野球に熱中し、随筆「筆まかせ」に、こんなふうに記した。子規が愉快な戦争と書いた野球だが、日本語の野球用語には解説者が「何とかならないかと思う」というほどの激しい言葉が使われている。  

 翻訳された野球用語の激しさについて語ったのは、元大リーガー(投手)の斎藤隆さんだ。大リーグの大谷翔平選手(エンゼルス)と前田健太投手(ドジャース)の対決となったNHKの米大リーグ試合中継で、斎藤さんが話すのを聞いて、なるほどと思った。確かに「殺」や「死」「盗」「暴」「邪」といったマイナスイメージの漢字が使われている。併殺(ダブルプレー、ゲッツー)、三重殺(トリプルプレー)、犠打(バント)、犠飛(犠牲フライ)、死球(デッドボール)、盗塁(スチール)、本盗(ホームスチール)、邪飛(ファウルフライ)、暴投(ワイルドピッチ)、一死、二死(ワンアウト、ツーアウト)、○○弾(○○ホームラン)……。  

 以上は思いつくままに書いてみたのだが、ふだん新聞のスポーツ面を何気なく見ていて、特に気にすることがない。長い間使われているためか、特に違和感はない。だが、斎藤さんに言うように、けっこうきつい言葉なのである。これに気が付いた斎藤さんは繊細な人なのだろう。野球用語はこの先変わるのだろうか。  

 ところで、子規は冒頭の言葉の前に野球の面白さについて書いている。

《運動にもなり しかも趣向の複雑したるはベース、ボールなり 人数よりいふてもベース、ボールは十八人を要し 随って戦争の烈しきことローン、テニスの比にあらず 二町四方の間は弾丸は縦横無尽に飛びめぐり 攻め手はこれについて戦場を馳せまはり 防ぎ手は弾丸を受けて投げ返しおつかけなどし あるいは要害をくひとめて敵を擒(とりこ)にし弾丸を受けて敵を殺し あるいは不意を討ち あるは夾み撃し あるは戦場までこぬうちにやみ討ちにあふも少なからず》(以下冒頭の言葉が続く)  

 野球(ベースボール)の起源は諸説があるが、日本では1871(明治4)年に来日したホーレス・ウィルソンという米国からのお雇い外国人教師によって広まったといわれる。ベースボールを野球と日本語に訳したのは、教育者の中馬庚とされている。野球が好きだった子規も「升」(のぼる)という幼名(本名は常規=つねのり)にベースボールをもじって「野球」(のぼーる)という雅号も使ったことも知られている。

「九つの人九つのあらそひにベースボールの今日も暮れけり」。病臥していた子規は、野球を回想しながら、いくつかの短歌も書いた。子規にとって野球を考えることは、元気なころの自分を思い出すことでもあったのだろう。  

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