小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1793 日本は言葉の改まりやすい国  中日球団の「お前」騒動と日本

IMG_9672.JPG
 プロ野球、中日の攻撃の際に歌われる応援ソングの中に「お前が打たなきゃ誰が打つ」という言葉があるそうだ。この「お前」という部分に与田監督が「選手がかわいそうだ」と違和感を示し、応援団がこの歌を使うのを自粛したというニュースが話題になっている。お前は「御前」のことであり、かつては「神仏や貴人の前」など、敬称として使われた。しかし、現代では主に男性が同等あるいは目下の者に使う言葉だ。中日の応援ソングをめぐる騒動は、言葉に対し人それぞれ微妙な感覚を持っていることを示している。
 
 かつて、この言葉を普段からよく使う人が私の周辺にもいた。デスクという立場にあるこの人は、第一線記者の原稿を見たり、取材の指示を出したりする際に必ずこう言うのだった。「〇〇君(あるいは呼び捨てで)」と名前を読んだ後、「お前さんのこの原稿だがねえ……(原稿の内容について問い合わせの時)、「お前さん、これを取材してほしいんだ……」(取材の依頼の時)と話すのだった。初めに名前を読んでいるのだから「お前さん」は必要ないはずだが、必ず付け加えるのである。
 
「お前」だと見下すような印象があるが、「さん」が付くとそれが少し緩和され、仲間意識が伝わるから、彼はそれを意識して使っていたのかもしれない。落語を聞いていると、奥さんが旦那を呼ぶ際に使っているが、現代の家庭にこうした呼び方が残っているかどうか分からない。かつての社会部デスクは江戸っ子だったから、何気なくこの言葉が口に出たのかもしれない。
 
 昭和の歌謡曲で「おまえに」というフランク永井が歌った名曲があった。作曲は吉田正、作詞は岩谷時子で、3番までに3回「おまえのほかに だれもない」という言葉が出てくる愛の歌である。当時、この部分に違和感を持つ人はいなかったから、ヒット曲になったのだろう。
 
 民俗学者柳田國男(1875~1962)は『国語の将来』という随筆で「日本は言葉の改まりやすい国」だと指摘している。続いて「近年は流行の語が多く、人は急いでこれを模倣して、むしろあまりにも気軽に古いものを棄ててしまう嫌いさえあった」と柳田は嘆いた。柳田がこの文章を書いたのは1939(昭和14)年のことだ。それから80年の時が流れている。そして、現代はソーシャルメディアの全盛時代。柳田の指摘以上に、言葉の変化は激しいといえるだろう。
 
 中日の応援ソングの自粛は、特定の言葉の使用を禁止する「言葉狩り」のような印象さえあり、与田監督自身困惑しているという。当然、自粛騒ぎにまで発展するなど考えてもいなかっただろう。
 
 写真 ハイビスカスにとまるオオゴマダラ那覇市首里にて)