小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1827 郷愁と失意と 秋の名曲『旅愁』を聴きながら

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 東日本に上陸し大きな被害を出した台風15号と19号。新聞、テレビの報道を見ていると、復旧は容易ではないことが分かる。原発事故の福島が今回の災害でも一番被害が大きかったことに心が痛むのだ。私は台風の夜、アメリカの曲に犬童球渓(1879~1943)が日本語詞をつけた『旅愁』の2番の詞を思いながら時間を送った。若き教師時代の犬童が、郷愁と失意の思いを描いた詞だった。

旅愁』はジョン・P・オードウェイ(1824~1880)というアメリカの音楽家が作詞作曲した『『家と母を夢見て』という歌で、それを犬童が以下のような日本語の詞にしたことはよく知られている。原曲は本家のアメリカでほとんど歌われることがないそうだが、『旅愁』はいまや日本の名曲として受け継がれているといっていい。  

1 

更け行く秋の夜 旅の空の  わびしき思いに ひとりなやむ    

恋しやふるさと なつかし父母   

夢路にたどるは 故郷(さと)の家路    

更け行く秋の夜 旅の空の  わびしき思いに ひとりなやむ  

2 

窓うつ嵐に 夢もやぶれ  遥けき彼方に こころ迷う    

恋しやふるさと 懐かし父母(ちちはは)    

思いに浮かぶは 杜(もり)のこずえ    

窓うつ嵐に 夢もやぶれ  遥けき彼方に 心まよう

 犬童は熊本県人吉市プロ野球川上哲治も同郷)出身で、東京音楽学校(現東京芸大)を出たあと、兵庫県の旧制柏原中学(現丹波市柏原町)に音楽教師として赴任した。しかし前年の1904(明治37)年に日露戦争が勃発したばかりという世情下、生徒たちが西洋音楽に反発したためわずか8カ月で同校をやめ、新潟高等女学校に移った。この歌は犬童が同女学校時代に訳した『故郷の廃家』とともに、1907(明治40)年の「中等教育唱歌集」に収められ、多くの人々に知られるようになった。  

 この歌の詞には、故郷人吉への郷愁と柏原中学で味わった挫折感が入り混じった複雑な思いが込められているといわれ、特に2番は失意の気持ちが如実に表現されている。犬童が追われるように去った柏原では、後に犬童の功績を称える動きが起こる。『旅愁』の歌碑が旧柏原高女校舎向かいのたんば黎明館(かつて氷上第一高等小学校、氷上郡立高等女学校校舎として使われた兵庫県有形文化財。現在はレストランやライブラリーカフェなどを備えた文化施設として利用)に建てられ、ことし5月に落成式が行われたのだ。犬童にとって後世、自分の歌碑が因縁の地に建つとは思いもよらなかったことに違いない。まさに「恩讐の彼方に」である。  

 先日、高校の同級会に参加し、友人たちの人生の歩みを聞く機会を得た。それぞれに悲しみと喜びが混じった人生を歩んでいる。今回も数人の同級生がこの世を去ったことを知った。2人の友人は妻を亡くした悲しみと寂しい思いを話した。「人との出会いが私の人生を支えてくれた」という言葉もあった。友人たちの話を聞いて、彼らもまた、『旅愁』の2番のような思いで過ごした夜があったに違いないと、思った。  

 写真 204年11月21日に建立された東北新幹線新白河駅前の松尾芭蕉像。像の下には「心もとなき日数重るままに白河の関にかゝりて旅心定りぬ」という「奥の細道」からの抜粋の文章が刻まれている。  

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