小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1829 本を繰り返し読むこと ヘッセ『郷愁』とともに

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 高橋健二訳・ヘルマン・ヘッセの『郷愁』(新潮文庫)は、まさしく名著である。アルプスの高山に囲まれ、美しい湖水風景が広がるスイス山間部の小さな村に生まれ、成長するペーター・カーメンチントという主人公の自己形成史ともいえる、透明感にあふれる作品を再読した。自然の抒情的描写と自己考察で進行する作品は、初めて読んだ昔とは異なる感慨を与えてくれた。  

 この作品は1904年に書かれたヘッセの処女作といわれ、世界で多くの人に読まれている。スイス湖水地方のニミコン(実在の村ではなく、モデルは諸説がある)で生まれたペーターは自然の中で育ち、勉學に優れたことから村を出て高校に進み、さらにチューリヒの大学で学ぶ。卒業後も故郷には帰らず、文筆活動に入る。この間に各地を旅し、バーゼルに移り住み、様々な人々と巡り会う。大学の親友の突然の死や失恋、指物師一家との交流。指物師の妻の弟で障害を持つボッピとの共同生活と彼の死を経て、ペーターは故郷へと戻り、年老いた父親と暮らし始める。

「人間が自然から得たものではなく、自分自身の精神からつくり出したたくさんの世界の中で、書物の世界は最も広汎で高い価値を持つものである」(『ヘッセの読書術』・草思社文庫の中のエッセー「本の魔力」より)と、ヘッセは書いている。27日から読書週間(11月9日まで)が始まった。若者の読書時間が少なくなっていると言われる中で、ヘッセの『郷愁』は、手に取ることを勧めたい一冊といえる青春の書なのだ。  

 原題は「ペーター・カーメンチント」という主人公の名前になっている。訳者の高橋は「郷愁」と変えたことについて「山や水を、とりわけ雲を愛する主人公の自然感情は、ヘッセその人のそれを反映している。その自然感情をもって、また、おのずから歌い出ずにはいられない詩人的感覚をもって、現代文明を批判する態度は、ヘッセの全創作を貫いている。(中略)そして、それらはいずれも、惰性的に現代文明の混迷の中に生きるのではなく、自分の魂のふるさとを求めようとする内部の声である。それゆえ、『ペーター・カーメンチント』は、やや感傷的なひびきがするが、『郷愁』と訳されても、はなはだしく失当ではあるまい」(改版のあとがき)と説明している。本の題名として、至当といっていいだろう。  

 この作品は「教養小説」あるいは「発展小説」(あるいは「成長小説」=ドイツ語の「Bildungsroman」の訳語)と呼ばれる。青臭いとか書生っぽいなどと毛嫌いする人もいるだろう。それに対しヘッセはこんな答え方をしている。「あらゆる思想家の本、あらゆる詩人のあらゆる詩行は、どれもそれをくりかえし読む者に、数年ごとに一つの新しい顔を見せるであろう。以前とは違った解釈ができるようになり、それまでとは違った共感を呼び起こされるであろう」(上掲のエッセー)

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