小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1799 損傷したモネの大作《睡蓮、柳の反映》AI技術で浮かび上がる復元画

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 原型をとどめないほど上半分が消えた1枚の絵。修復したとはいえ、その損傷が激しい大作を見て、画家の嘆きの声が聞こえてくるようだった。東京上野の国立西洋美術館で開催中の「松方コレクション展」。その最後に展示されているのが60年間にわたって行方がわからなかった初期印象派の画家、クロード・モネの大作《睡蓮、柳の反映》(縦199・3センチ、横424・4センチ)だ。修復作業を経て多くの美術ファンの前に姿を現した無惨な姿は、この大作が戦争に翻弄されたことを示している。
 
 ル・コルビュジが設計し、世界遺産に指定されている国立西洋美術館は1959(昭和34)年6月10日の開館だから、今年で60周年になる。開館の根幹になったのは、川崎造船所(現・川崎重工業)初代社長・松方幸次郎(明治の元勲、松方正義の3男。隊長として日本人によるエベレスト初登頂を成功させた登山家で元共同通信社専務理事の松方三郎は幸次郎の弟)が1910年代半ばから1920年代半ばにかけて収集した美術品「松方コレクション」であることはよく知られている。同コレクションは1927年の川崎造船所の経営破綻後散逸、パリに残されていた約400点は第2次世界大戦中の1944年にフランス政府によって敵国資産として接収されてしまった。戦争は美術品を奪い合うものである一例だ。第2次大戦中、ナチス・ドイツスターリンソ連(現在のロシア)もヨーロッパから多くの美術品を収奪したことは歴史の汚点になっている。
 
 接収された松方コレクションは59年、フランスの国立美術館のために確保された約20点を除く375点が日本に移送され、開館した西洋美術館の収蔵品になった。《睡蓮、柳の反映》は、モネが1916年に制作した油彩画。パリ・オランジュリー美術館に収蔵の全長90メートルに及ぶ「睡蓮」の大装飾画の一部、《木々の繁栄》に関連づく習作のうちのひとつといわれ、写真のように睡蓮の池に柳の木が逆さまに映り込んでいて、その水面が荒々しい筆致で描かれている。
 
 この絵に関する各種報道をまとめると、この絵も同コレクションの1枚だったが、移送された分にも、フランスが確保という名目で返還しなかった絵画の中にもなく、所在不明が続いた。2016年9月になってパリのルーブル美術館収蔵庫でロールに巻かれた状態で発見され、調査の結果モネの大作と判明したという。フランスの美術関係者は第2次大戦中、ナチスの収奪の手から逃れるため、この作品をパリの北西部にある農家に疎開させた。しかし、上下逆さまに置くなど作品の保存状態が悪く、水や湿気の影響で大きく損傷、全体の上半分が消えてしまったのだ。「国立西洋美術館開館60周年記念」のこの企画展最後の155点目に展示されたのが、この下半分しかない《睡蓮、柳の反映》だった。
 
 第2次大戦中、ナチスに奪われたヨーロッパの美術品を取り戻すため連合軍は専門家から成る特殊部隊を編成しているし、ソ連がヨーロッパから多くの美術品を収奪したことは歴史的事実である。モネのこの1枚も間違いなく戦争によって傷付けられた、不幸な絵画といえる。西洋美術館は返還された原画の残っていた下半分を修復する一方、凸版印刷の協力を得てAI技術で消えた部分の復元を試み、全体を推定したデジタル画像を作成した。その画像は会場入り口裏で映されており、光の画家・光の魔術師といわれるモネの特徴が浮かび上がっている。とはいえ損傷した絵が元に戻ることはない。それは戦争を繰り返す、人間の愚かさを示す象徴のように見える。
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 写真1、AI技術で復元されたモネの《睡蓮、柳の反映》2、西洋美術館の前は多くの人が行き交う
 《睡蓮、柳の反映》の画像 国立西洋美術館HP
 
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