小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1821 多くは虚言なりか 闇深き原発マネーの還流

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 吉田兼好の『徒然草』第73段に「世に語り伝ふること、まことにあいなきにや、多くはみな虚言(そらごと)なり」という言葉ある。国文学者の武田友宏は角川ソフィヤ文庫の『徒然草』で、この段を「『うそ』の分析」と題し解説を加えている。関西電力高浜原発がある福井県高浜町の元助役から関電幹部らが3億2000万円の金品を受け取っていた問題で2日午後、岩根茂樹社長、八木誠会長らが記者会見した。このテレビ中継を見ていて、兼好の言葉が今も厳然と生きていることを思い知った。  

 武田は73段を以下のような現代文に訳している。

《世の中に広く伝わる話は、事実そのままだと受けないからか、大部分は「うそ」で固めてある。だいたい、人間は実際以上に話をこしらえて言うものだが、まして、時間的にも空間的にも遠く隔たると、無責任に話を作り変える。そして、文字で記録されると、それがまた、そのまま事実として定着してしまうのだ。その道の名人の優れた業績などを話に聞くと、無知で未熟な人間は、やたら、神のごとくあがめるけれども、道を心得ている人間は、そんな信仰心など起こさない。話に聞くのと実際に見るのとでは、何事も違うからだ》  

 73段に関する武田の解釈。

《話すそばから、「うそ」がばれるのも気にしないで、口から出まかせにしゃべり散らすのは、すぐに信頼できない話と判断される。また、自分でも事実らしくないと疑いながら、他人の話をそのまま、小鼻をぴくつかせながら、得意げに受け売りするのは、彼自身に「うそ」の罪はない。一方、こういう軽薄な「うそ」に対して、危険な「うそ」がある。いかにも事実らしく、話のところどころを自信なさそうによくわからないふりをして、そのくせ、話の筋道はきちんと合わせて語る「うそ」は、誰もが信用するので、恐ろしい。(以下、略)》  

 関西電力の会見で、社長、会長は多額の金品を受け取ったのは、相手の元助役・森山栄治氏(故人)が高浜原発反対派に回ることを恐れ、しかも返そうとすると激高されたり、脅されたりしたので、過剰に反応して、返すことができなかった、などと説明した。原発部門を担当する2人の新旧役員にはそれぞれ1億円以上が渡っているにもかかわらず、社内処分はこの2人は厳重注意のみだった。(150万円相当の金貨を受け取った社長、859万円相当の金品を受け取った会長は減給処分で、2人とも辞任は否定した)森山氏は既に死去しているため、記者から「死人に口なしですね」という声が出たのは当然だったといえる。  

 2人の会見はまさに「話のところどころを自信なさそうによくわからないふりをして、『悪いのは元助役であり、私たち関電は被害者』だ」というストーリーになっていた。発表になった調査報告書も、今後第三者によって実施される調査でも当事者である森山氏から話を聞くことはできないという事情があり、真実の究明は困難だ。新聞には「込み入った事情は多々あったようだ」(朝日・天声人語)などという、奥歯にものが挟まったような表現もあり、この問題の闇の深さを感ずるのである。だが、社内調査の後、1年近く隠し通したにもかかわらず発覚したのだから、「天網恢恢疎にして漏らさず」なのだ。  

 この問題では、森山氏が顧問を務めていた地元の建設会社が原発関連で関電から多額の工事を受注していることが明らかになっている。関電は否定しているが、原発関連工事の非公開情報提供の見返りとして森山氏を通じて関電関係者に原発マネーが還流したのではないかという見方が強い。原発関連の建設会社から直接金品を受け取った役員がいることも3日になって報道されており、電気料金が関電役員らに還流されたことは間違いないだろう。闇を照らす真相報道を待ちたい。  

 後記 この問題の初報は私も所属した共同通信社会部記者の特ダネで、今年の新聞協会賞を受賞した。後輩の活躍が限りなくうれしいと思う半面、原発問題の闇の深さを感じる。後日、八木会長は辞任、岩根社長も、新たに設置した第三者委員会の報告を待って辞任することを発表した。