小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1012 ああフェルメールよ 残暑の中の絵画展にて

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日本人のフェルメールヨハネス・フェルメール、オランダ、1632-1675)好きは相当なものだと思う。「真珠の耳飾りの少女」と「真珠の耳飾りの女」(こちらもパンフには少女とあったが)という2つの作品が展示された上野の森にある東京都美術館国立西洋美術館は、人であふれていた。 以前、フェルメールの作品を見たこともあって、もう一度と思い東京都美術館に行ってみた。残暑の中、チケットを持った人たちが長い列を作っていて、最後尾には入場まで50分待ちという表示板を持った係員がいた。リニューアルオープン記念として、オランダの王立絵画館として知られるマウリッツハイス展を6月から開催し、9月17日が最終日だ。 この中にフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」(青いターバンの少女)があり、人気を集めているのだ。チケットを買うだけでも大変らしいと聞いて、長い列に加わることは断念し、JR上野駅近くにある国立西洋美術館に向かった。 ここではベルリン国立美術館展として、フェルメールレンブラントの作品107点を展示していた。もらったパンフにはこちらの絵も「真珠の耳飾りの少女」と書いてあるが、インターネットなどで調べてみると、「少女」というより「女」の方が一般的に使われているようだ。多くの人の後について、地下の展示室を回ると、ひときわ人だかりが目立つ絵があった。 それがフェルメールの「真珠の耳飾りの女」で、サイズは51・2センチ×45・1センチと目立たない大きさだ。「左側から光が差し込む室内に立つ女性」の構図は、フェルメール作品の多くを占めているが、この絵もその中の1枚だ。フェルメール研究で知られる小林頼子目白大学教授の「人気があるのは、作品に光学画像を思わせる特徴があることも現代人の心をとらえるのかもしれない」という説を思い出しながら、わずかな間だが、絵と対面した。 絵の中の女性は、柔らかな光の中で、真珠のイヤリングをつけて鏡に見入っている。幸せな生活をしている女性なのだろうと思い、心が穏やかになる。なかなかこの絵の前から立ち去らない人が多いせいか、係の女性が「後の人が続いています。早めに交代してください」と、協力を呼び掛けているのを聞いて我に返り、私と耳飾りの女との対面は短時間で終わった。 以前にもフェルメールを見たことがある。2008年のことだった。たまたま旅行でドイツに行き、ドレスデンにある国立古典巨匠絵画館(アルテ・マイスター)でフェルメール好きにはたまらない「窓辺で手紙を読む少女」と17世紀当時の社会風俗を映した、比較的大きいサイズの「取り持ち女」などを見る機会があったのだ。「窓辺で手紙を読む少女」と今回の「真珠の耳飾りの女」に描かれた女性はよく似ている。同じモデルなのかもしれない。 この後、同じ年に上野の国立西洋美術館で開かれたフェルメール展で、一番人気の「ワイングラスを持つ娘」を人の肩越しに見た。当時のブログにはラッシュアワーー並みの人出と書いているが、今回も同様だった。多くの人たちは、この小さな絵から何を感じ取るのだろうか。
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閑話旧題 絵の修復について 絵といえば、スペインのボルハという町の教会にあるキリストの壁画が80歳代の女性の修復作業で、猿みたいに変ってしまったことが話題になっている。それが世界的なニュースになり、この壁画見たさに観光客が続々集まり、町の商店主たちが喜んでいると、テレビでも放映されていた。この話題に絡んで、マドリード在住の画家、堀越千秋氏が朝日新聞に寄せたエッセーで「スペインという国に限っては、彼女(キリストの壁画を猿のようにしてしまった女性)がとがめられる筋合いはない。他人の絵を直すより、自分の絵を描きたい。それがスペイン人の性分だ。この事件で、僕はマドリードプラド美術館のことを思い出した」と、彼女の修復の前にプラド美術館で似たようなことがあったと記している。 プラド美術館は15世紀以来の歴代のスペイン王家のコレクションを展示する美術館であり、世界有数の規模と内容を持つ。ベラスケスやゴヤエル・グレコら美術ファンにはため息が出るような画家の絵が多数展示されている。堀越氏によると、スペインでは1992年のバルセロナ五輪セビリア万博に合わせ「名画をきれいに」というキャンペーンがあり、プラドの作品も修復の対象になった。以下は堀越氏が暴露した当時の修復作業の実態だ。 「原画の状態に合わせて1枚ずつ作業をやるべきなのに、粗雑、稚拙な技術で表面の古びたニスをはがし、画家が心血注いで施した色ニスも一緒にはいでしまう。空間は狂い、遠くの白雲が手前に出てくる。精密に描かれているがゆえのベラスケスの深刻な美は消え、白襟は絵の具のナマの白になり、王女の手はスルメ、王様の足は3本に見える。しかしプラドには権威があるから大きく騒がれることはない。世界最悪の修復は、実は世界に冠たるプラドの方にあるのではないか」 そんなこととは露知らず、私は2009年9月、この美術館を訪れ、巨匠たちの絵に見入ったのだった。堀越氏が指摘する最悪の修復が施されたベラスケスの絵がどれなのか、当時プラドで買った「プラド美術館名作100選」という本を取り出して眺めている。何となくこの絵だなと思うものがあるが、当たっているかどうかは分からない。 堀越氏はエッセーの結びで、修復に関し「現代の音楽家が昔の作曲家の作品を解釈して演奏する行為に似ている。一つひとつのタッチに宿る思いをくみ、守り、未来へとつなぐのは、科学的で、創造的で、尊敬されるべき仕事なのだ」と書いている。建築物も含めて人類の貴重な遺産の修復作業は、それだけの価値があるはずだ。そうした作業に黙々と当たる裏方たちは、貴重な存在なのだと思う。プラドのようなファールがあるとしたら、残念でならない。