小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1208 いまも色あせない芸術作品 モネとマーク・トゥインに触れる

画像偶然だが、この1週間に2人の個性的な芸術家の世界を垣間見る時間を持った。フランスの画家・クロード・モネ(1840年11月14日―1926年12月5日)の作品を中心にした「「モネ、風景をみる眼」展(国立西洋美術館)を見、「トム・ソーヤの冒険」で知られる米国の作家・マーク・トゥイン(1835年11月30日―1910年4月21日)のノンフィクション作品「ヨーロッパ放浪記」(彩流社、上下巻)を読んだからだ。2人の作品に共通するのは、1世紀以上の年月が過ぎても色あせない新鮮さであり、自然や人間を見る眼の確かさではないだろうか。 印象派として知られ、「光の画家」といわれたモネは、日本でも人気が高く「睡蓮」や「積みわら」、「ルーアン大聖堂」、「国会議事堂」といった連作もある。今回の「風景をみる眼」展は、西洋美術館とポーラ美術館が所蔵しているモネと同時代の他の作家の作品約100点を展示し、モネの自然をみる眼の深化を探ろうという企画だ。晩年のモネは、睡蓮の大壁画(モネが死んだ翌年の1927年にフランス政府に寄贈され、パリ・オランジュリー美術館に展示された)の制作に没頭し、死の直前までこの作品に手を入れ続けたというから、生涯現役を貫いた画家だった。 一方、マーク・トゥインは、新聞に長期連載した「ヨーロッパ放浪記」が出版され、一躍脚光を浴び、現在では「19世紀の米国の文豪」といわれている。いまから138年前の1878年3月、マーク・トゥインはある小さなグループに交じってヨーロッパ旅行に出かける。ほとんどが自分の足を使った徒歩旅行である。ハンブルク、フランクフルト、ハイデルベルグを経て南ドイツに入り、続いてスイスではアルプス登山を体験し、北イタリアへと回る。作家としての取材が徹底していて、当時の風俗も描写されている文字通りの放浪記である。 ドイツの学生のビールの一気飲みの光景や決闘の話など痛快な内容が次々に出てくる。ワグナーの音楽を「騒音」とこきおろしたマーク・トゥインは、ノイシュバンシュタイン城を建てたバイエルンのルートビッヒ2世(ワグナーの有力なパトロン)がオペラの公演の大雨の場面で、実際に本物の雨を放水させた話も紹介しており、私は読んでいて笑いが止まらなかった。アルプス登山では、かつて遭難が多発したことにも詳しく触れている。 50章建ての作品には、「補遺」(古代ギリシアの歴史家・ヘロドトスの補遺ほど書物に重みと威厳を与えるものはないという言葉が添えられている)がある。このうち私も以前訪れたことがあるハイデンベルグ城にあるワインの大樽の話がおかしかった。 マーク・トゥインは「それは小屋と同じくらいの大きさで、伝承によると180万本のワインが入っていて、ほかの伝承によれば18億バレル入っているらしい。どうもこれらの一つの説は誤りで、もう一つは嘘だ。歴史によれば樽は空っぽだったらしい。ほかで無料でもっと上質のワインが飲めるのに、空にしておくために巨大な樽をつくる気が知れない。この樽はいったい何のためにつくられたのだろう」と筆を進め、30組の男女か、30万組の男女が同時に樽の上で踊ることができるという話やイギリスの学者の樽の中で皇帝用のクリームを作ったという説にも疑問を呈している。 私がこの大樽を見た際、現地のガイドは大量のワインを入れるために作ったものだという説明をしたのだが、この本を読んでいれば、受け止め方も違ったものになっていただろう。 マーク・トゥインは、ハレー彗星が観測された1835年に生まれ、「私はハレー彗星とともに地球にやってきた。ハレー彗星とともに去っていくだろう」と周囲に話していたという。彼が死んだ1910年4月21日に、本当にハレー彗星が75年ぶりに観測されたという。「彗星のように現れる」(英語ではto become famous overnight)という言葉がある。「ある分野で優れた能力を持った人が突然活躍する」という意味だが、モネとマーク・トゥインにこの言葉を使うのは失礼なようだ。 画像 この写真はモネの「積みわら」(パンフより)