小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

239 衝撃の美術展 近江八幡の障害者アートを見る

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ランニングシャツに半ズボン、背中にリュックを背負って日本全国を放浪しながら、個性あふれる絵を描いた山下清画伯は有名だ。その才能はだれにも愛された。 その山下画伯以上か同等の才能を持ち、自分のために作品を作り出す人々がいま注目を集めている。アウトサイダーアートやボーダレスアートといわれる独特の感性の作品を制作しているのである。 滋賀県近江八幡市にそうした作品を展示する「ボーダレスアートNO-MA」があり、いまスイス・ローザンヌの世界的な障害者アートコレクションである「アール・ブリュット」と連携して日本と海外の作家の作品が展示されている。 過日、この作品を見て衝撃を受けた。どこまでも鋭く、忠実に対象に迫る作品、あるいは自分のイメージをとことんまで追求した作品。絵画だけではなく、インドの田舎にある石像も飾られている。 人間は不思議な動物だと思う。IQという健常者を対象にしたものでは計り知れない何かがだれにでも備わっているのだと実感した。 夕刻、この美術展の関係者が集まって、JR近江八幡駅近くのホテルでレセプションがあった。ここで、この芸術を芯から理解しているアールブリュットのリュシエンヌ・ペリー館長の言動に触れ、感心させられた。 関係者のあいさつの後、この会合に出席していた障害者アートの作家3人が壇上に呼ばれ、あいさつをすることになった。1人目はたどたどしく話をした。しかし、後の2人はうまく話ができなかった。 館長は「彼らは言葉でコミュニケーションをとるのではない。心で通じ合えるのです」と、助け舟を出した。しかし、その表情はきつかった。無理なあいさつは必要ないと言いたかったのだろう。その姿から、ボーダレスの作家を愛する館長の気持ちがよく伝わってきた。 近江八幡は昔ながらの伝統的な町屋を中心とする街並みが保存された落ち着きのある都市である。忙しい日常に戻っても、あの街並みに溶け込んだNO-MAを思い浮かべる。 その中には、言葉は不要の心に迫る作品が並んでいる。ある友人は,この作品を見て「静かな興奮を覚えた」という感想を話した。 美術のことはよく分からない。しかしフランスのモーリス・ユトリロは好きな画家の1人である。10代からアルコール中毒になったユトリロは、医師の勧めで治療のため絵を描き始めたという。ほとんどが風景画で、白を貴重にパリの街角や運河を描いた作品を見ると、心が落ち着く。彼の絵は何も考えなくていい。ただ眺めるだけで雑念が消えるのだ。 後年、彼はアル中が直った。しかし「白の時代」と言われた後は、あまりいい作品は残っていない。乱暴にいえば、ユトリロもアウトサイドアートの作者の1人だったといえようか。今度の休みには、書棚からユトリロの画集を取り出して眺めて見ることにしようと思う。