小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1071 文芸全般に挑み続けた太く短い生涯 ドナルド・キーンの「正岡子規」 年末年始の本(3)

画像日本文学と日本研究で知られる米国人のドナルド・キーン(90)が東日本大震災後、日本国籍を取得して、日本に永住したことに感銘を受けた人は多かったのではないか。その近著である「正岡子規」(新潮社、角地幸男訳)は、結核と闘いながら俳句、短歌、新体詩、小説、評論、随筆と文芸全般に挑み続けた子規の34年の短い生涯を、豊富な資料を駆使して分析、評価した評伝だ。

正岡子規司馬遼太郎のベストセラー小説「坂の上の雲」にも日露戦争で名を残した秋山真之、兄の秋山好古とともに登場する。NHKでこの小説がドラマ化されたこともあり、子規は家庭でも知られた存在になった。ドラマの子規は印象が強かったが、この評伝を読んであらためて彼の精神力の強さに畏敬の念を持った。

評伝は文芸誌「新潮」に2011年1月号から12月号まで連載したものだ。この間、東日本大震災が日本を震撼させた。病床で句を詠み、評論を書くことをやめない子規の生涯を書くことによって、キーンは被災者・日本人に対し、支援の思いを送り続けたのではないか。様々なエピソードや交友関係が描かれ、松山藩の「士族の子」として生まれ、泣き味噌といわれた子どもの頃から、辞世の句を詠って世を去るまで子規の太くて短い生涯が解き明かされていく。

ふだん、本を読んで付箋はつけないが、この本だけは気になった文章がある頁に付箋をつけたものだ。親友、夏目漱石が子規宛の手紙の中で示した文章論は、時代を経ても的を射ている。「総じて文章の妙は、胸中の思想を飾り気なく平明率直に語るところにある」「文章とは、言葉を使って紙上に表現される最高のアイデアである。最高の文章は、言葉を使って紙上に最上の方法で表現される最高のアイデアである」

子規の俳句論を知ると、俳句は作れないと思ってしまう。「俳句は自分の真の感情を曲げて作ろうとしても、どこかに真の感情が現れる。だから、心卑しくけちな人間は、自ずと心卑しくけちな句を作る。高尚な句を作ろうとするなら、まずその心を高尚にしなければならない」

与謝野蕪村の再評価、高浜虚子との関係、江戸・元禄時代を代表する3人の文学者である井原西鶴松尾芭蕉近松門左衛門に対する批評、手厚く看病を続けた妹、律に対する感情、死へと向かいながらひたすら書き続ける子規の姿など、付箋をつけた頁は少なくなかった。

ドナルド・キーン正岡子規をどのように評価したのだろうか。以下、キーンの文章の要約。

「子規が俳句の詩人ないしは批評家としての仕事を始めた時、世間には俳句に対する関心の衰えがあり、しかも記憶に残るような俳人は当時一人もいなかった。(略)子規によって、今や百万人以上の日本人が、専門家が指導するグループに入って定期的に俳句や短歌を作っている」

「子規の早い死は悲劇だった。子規は俳句と短歌の本質を変え、昔から賛美されてきた自然の美を無視した。それでも基本的に日本人の美的嗜好は昔から変わらず、梅の花のほのかな香りや霞のごとくたなびく桜の花々は日本人を喜ばせ、秋の紅葉狩りのために遠出をする。だが、詩人たちはもはやそうしたものに触れることはない。詩人たちが好むのは、俳句や短歌を作ることで現代の世界に生きる経験を語ることだ。これは子規の功績だった」

本で描かれた多くは、子規研究者の手によって既知の事実になっているはずだ。だが、ドナルド・キーンという有名文学者による正岡子規の本格評伝(本の帯の紹介文章)として、子規ファンだけでなく文学愛好者にも評価される一冊になるのかもしれない。