小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

263 東山魁夷の世界との出会い

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東京から水戸に向かい、水戸でJR水郡線に乗り換え、奥久慈地方(茨城県北部-福島県南部)を旅した。 ソメイヨシノは終わっている。だが沿線には八重桜やカスミ桜が咲き、新緑の山は遠くが霞み、東山魁夷の絵を見ているような錯覚さえ覚える。 奥久慈地方は、茨城県常陸太田から大宮、大子を経て福島県矢祭、塙、棚倉、石川、浅川、鮫川に至る久慈川流域の地方をいう。 鮎で知られる久慈川の上流に位置し、水郡線久慈川を縫うようにして走っている。沿線には袋田の滝や大子温泉、桜の名所の矢祭山がある。 かつては本数も多かったこの鉄道も、沿線町村の過疎化により利用者数が激減し、いまでは2時間に1本程度しか走っていない。 水戸駅を出た気動車は、乗客はまあまあだ。しかし、北上するにつれて次第にまばらになっていく。それと比例するように、窓外の風景は自然一色となる。 なだらかな曲線を描いた山並みが続く。緑が果てしない。目にやわらかい。どこかで見たような思いに浸る。「既視感」というやつだ。 時折、久慈川の清流にかかる鉄橋を越える。途中下車して、川原に寝転び、昼寝をしたいと夢想する。桜の季節はこの地方もかなりの人出があるようだ。それが終わると人影は少なく、木々は静謐な中で緑の濃さを増していく。 緑は人の心を落ち着かせる。どこを向いても緑があふれる環境の中で一泊し、去りがたい思いで再び水郡線に乗る。これまでの人生では、落ち着きのない日々を過ごしたと思う。しかし、いま心は平穏だ。 東京に戻ると、どうしても「生誕100年 東山魁夷展」を見たくなり、東京国立近代美術館に駆け込んだ。 竹橋の東京国立近代美術館は入場者が多く、満員電車のような雰囲気だ。東山魁夷の人気は平山郁夫と二分するのかもしれない。好きな絵があっても、立ち止まることは遠慮しなければならない。 それでも無理をして何点かは時間をかける。「山」(山梨、長野県境の金峰山)「萬緑新」(福島県猪苗代町翁島)という2つの作品を見て、水郡線から見た緑の風景を思い出した。そうか、これなのかと。東山魁夷の世界を偶然にも水郡線の旅で経験できたのだ。 それほどに窓外の風景は絵心のない私でも、心のキャンパスに描きたいと思わせる絶景だった。車全盛の時代にあっても、ローカル線の旅は大事な何かを得ることができる。それは至福の旅でもある。
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