小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1068 遠い初富士を見る 「小寒」の散歩道

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「初富士のかなしきまでに遠きかな」 山口青邨 暮れに子宮摘出の手術をした我が家の犬は術後の経過が優れない。長い散歩には付き合わせることができないので、このところ一人で散歩をしている。きょう5日は「小寒」。寒いのは当然だ。高台の道を歩いていると、遠くに雪を抱いた富士山が見える。通りがかったデイケアセンターの車が止まって、乗っている高齢者に日本一の山を見せていた。悲しきまでに遠い富士の姿に、高齢者は何を思ったのだろうか。 評論家の山本健吉は、この句について「遠く小さく、雪の日に映えた清らかな山容を見出したのである。『かなしきまでに』に深い感情が籠っている」と、絶妙な解説をしている。 日本の代表的俳人である正岡子規(1867・10・14-1902・9・19)は、画家の中村不折との交遊について触れた「畫」(明治33年)という随筆で「俳句に富士山を入れると俗な句になり易い。松の句もあるが、松の句には俗なのが多く、返って冬木立の句に雅なのが多い」という俳句論を述べている。 しかし、子規自身「寒けれど富士見る旅は羨まし」(親友の夏目漱石が東京から松山に帰るときに送ったはなむけの句)など、富士山を題材にした句を数多く残している。 明治23(1890)年には、五百木瓢亭とともに富士山に関する俳句や和歌などを古書から書き写した『富士のよせがき』を出しており、富士山への畏敬は強かったのではないか。 山口青邨(1892・5・10-1988・12・15)は、名随筆家として知られる寺田寅彦中谷宇吉郎と同様、理系の学者で鉱山学が専門だった。俳句の世界では、子規の弟子である高浜虚子門下に入っている。当然子規の文章も読んでいただろう。その上で、富士を題材に選んで名句を残した。俳句は門外漢の私でも青邨の句から「俗臭」は感じない。それよりも、デイケアの車から富士を見る高齢者は、青邨の思いを共有しているのではないかと思ったものだ。 富士山の姿を初めて見たのは神奈川県江の島への中学の修学旅行の時だった。子どものころから富士山への関心は高く、夏休みになると故郷の家の近くにある周辺で一番高い山に登り目を凝らしたことが何度もある。それはかなわぬ夢に終わった。 それだけに、江の島から見た富士は忘れることができない「初富士」だった。あれから長い年月が過ぎ、正月がめぐってきた。高台に佇みながら、初富士に愛犬(hana)の健康回復を祈った。
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写真 1、2 庭にやってきた鳥たち 私の少年時代 http://hanako61.at.webry.info/200808/article_13.html