小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1200 真贋入り混じった現代社会 別人が作曲した希望のシンフォニー

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芸術作品の真贋問題でよく知られているのは古陶器の永仁の壺事件(1960年)だ。鎌倉時代の古瀬戸の傑作として国の重要文化財に指定された永仁二年の銘があった瓶子(へいし・壺の一種)が、実は陶芸家加藤唐九郎の現代作であることが発覚し、大騒動になった。この騒動があっても、制作に没頭した加藤の陶芸家としての名声は下がることはなく、逆に高まったといわれる。 希望のシンフォニーといわれる交響曲1番≪HIROSHIMA≫の作曲家として有名になった佐村河内守の曲は、別人が作曲したことが明らかになった。曲自体はオリジナルの作品としても、別人が作曲したのだから佐村河内作品としては「偽物」だった。加藤と違って、佐村河内に対する風当たりは強くなるのではないか。 音楽に疎い私は、NHKの特集番組を見てCDまで買った。不明を恥じるしかない。佐村河内のイメージは、まさに現代のベートーベンのようだった。全壟、黒ずくめの服装、サングラス、そして長髪。NHKの番組をはじめとするメディアの報道はそのイメージアップに大きな役割を果たした。現代人はイメージを利用した宣伝に弱い。その結果、いつしか彼は現代のベートーベンとしてもてはやされてしまった。その胡散臭さをだれも長い間見抜けなかったのだから、なかなかの演技派だったといっていい。 今回のように、音楽業界ではゴーストライターの噂は多いという。著名人がゴーストライターを使っていることはよく知られている。ウィキペディアで「ゴーストライター」の項を見て驚いたのは、数多くのゴーストライターの例があることだ。 そこにはノーベル賞作家、川端康成の作品として発表された中で「文章読本」は伊藤整が、「新聞小説・東京の人」を梶山季之が、「小説の研究」を瀬沼茂樹が、中里恒子が「花日記」をそれぞれ代作したと書かれ、川端自身は菊池寛の「不壊の白珠」という作品の代作をしたとある。売れっ子作家の重松清は、以前、複数の名前を使ってゴーストライターの仕事を行い、「ゴーストの帝王」と呼ばれていた、とも記されている。 有名作家以外でも、著名人が自伝出版や文章作成にゴーストライターを使うことは珍しくない。現代社会は真贋入り混じった複雑な時代なのだろうか。