小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

844 心に響く「歌」と「絵」 やすらぎをもたらす2つの美

画像ことしは本当にため息を吐いた。それは私だけではないはずだ。多くの日本人が行く末を不安に思い、東日本大震災で避難生活を余儀なくされている人たちのニュースに接し、体に悪いため息を吐いている。それは、まだ当分続くだろう。 そうした悩める魂を救うのは、何だろうか。そんなことを考えていて、たまたまささやかながら心温まる時間を送った。そこには「歌」と「絵画」というやすらぎをもたらす美があった。 「歌」の方は、このブログで以前に紹介した福島県矢祭町立東舘小学校の「校歌」だった。東舘小は、戦後十数年、校歌が歌われない時代があった。その後、校歌が作られて昭和49年の創立百周年まで歌われ続けた。ところが、この記念式典で昔の卒業生は自分たちが習った校歌だとして別の歌を歌った。 校歌が2つあったことになる。古い方の楽譜が見つかり、作詞・作曲者は山本正夫という音楽家だったことが判明する。こうして2つあった校歌は、古い方が歌われることになる。その校歌はラオスに渡り、山岳部の小学校の校歌になったこともこのブログで報告している。 その後、現在の宍戸仙助校長はPTA会長らの協力で山本の人となりを調べ、山本の孫の晴美さんが東京で幼稚園長をしていることを突き止め、今月14日には、晴美さんを呼んで「校歌制定記念音楽会」を小学校の体育館で開いた。 演奏したのは郡山市を中心に活動しているアンサンブル・コライネのメンバーよる木管四重奏(フルート・渡辺聡美さん、オーボエ・菅野泰寛さん、クラリネット・武田洋之さん、ファゴット・角田恵さん)で、「崖の上のポニョ」など、子どもたちになじみがありそうな6曲をまず聞かせ、さらに校歌を演奏、142人の全校生が斉唱した。子どもたちの心が一つになった美しい校歌だった。 演奏のあと晴美さんは感動的なあいさつをした。 《私の祖父もこの場に来て聞いていたと思います。祖父は私の生まれた時は亡くなっていました。ですから会ったこともなく、顔も知らないのですが、勉強家で思いやりがあり、優しかったと聞いています。私の幼稚園は昭和11年ごろに建てられた木造の園舎です。風が吹くとすきま風が入ります。そして、電話番号の後ろの方は最初に電話をひいた時の1370のままなのです。1370は『人はみな円満に』という意味があります。これからはみなさんの時代です。大きくなったら世界中の人々が円満に、戦争のない社会を作ってください》 画像続いて「絵」の方だ。絵本作家であり、女子美の大学院生、加藤祐子さんが7月11日から24日まで神田のギャラリーで初めての個展「Home展」を開いた。最終日になってようやくのぞくことができた。小さなギャラリーだった。でも、そこに一歩足を踏み入れると、不思議な空間が広がっていた。 これまで描きためた17点の幼児向け絵本の「絵」からは、ひたむきにメルヘンの世界を創造しようとする思いが伝わる。加藤さんの絵はとても丁寧だ。さまざまな動物たち、風景。どれひとつとっても、個性があるのだ。この背景には自分の世界を作ろうとする作家の一途な姿勢があるのだと思う。絵本作家の登竜門といわれる雑誌「MOE」7月号に加藤さんの作品が4ページにわたって掲載されている。「ママがきえちゃうゆめをみた」である。もちろん、この作品も展示されていた。 加藤さんの創造力は尋常ではない。加藤さんは自分が幼いころに見た夢をストーリーに、子どもに心が豊かになるようなイメージの絵にしたのだ。絵や芸術とは縁のない私は、そうした発想に畏敬するばかりだ。 東日本大震災から4カ月が過ぎたが、被災者が明日への希望を抱くことができる状況には程遠い。だが、東舘小学校や加藤祐子さんの動きから困難に屈しない「人間の粘り強さと持続力」を感じた。この数日、涼しくなった。体の中から力が戻り、高村光太郎の「道程」という詩を思い浮かべた。 《僕の前には道はない 僕の後ろには道は出来る ああ、自然よ 父よ 僕を一人立ちにさせた広大な父よ 僕から目を離さないで守る事をせよ 常に父の気魄を僕に充たせよ この遠い道程のため この遠い道程のため(道程より)》