小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1456 カラヴァッジョの心の闇 逃亡犯の絵画芸術

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殺人犯として追われるほど破天荒な生活をする一方、バロック絵画の創始者として名を残したのは、イタリアのミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571-1610)である。国立西洋美術館で開催中の「カラヴァッジョ展」(カラヴァッジョ作品10点と同時代の他の画家の作品の計51点を展示)をのぞいてみると、混雑度はそうひどくなかった。カラヴァッジョの作品には、彼が殺人事件を起こした直後に描いた《エマオの晩餐》(1606)も含まれ、闇の中に浮かび上がる5人の人物像が印象に残った。 ミラノで生まれたカラヴァッジョは、絵を学んだあとローマに出て、次第に名前が知られる存在となり、平明なリアリズムと劇的な明暗法によって人物を浮かび出させる画法でバロック絵画を開花させた画家と位置づけられている。ルーベンスレンブラントフェルメールら多くの画家に影響を与えたことはよく知られており、その様式を模倣、継承した画家たちはカラヴァジェスキ(カラヴァッジョ派)と呼ばれている。 画家として偉大な存在だったカラヴァッジョは、殺人者としての暗い側面を持っていた。ローマの夜の街を仲間とともに遊び歩き、暴行や武器の不法所持などを繰り返し、あげくの果てにチンピラの一人を剣で刺殺し、指名手配になる。郊外の山中に身をひそめた彼が、逃走資金を稼ぐために描いたのが《エマオの晩餐》だといわれる。 この絵は、復活したイエスがエマオに向かう2人の弟子の前に現れたというエピソードを基にしている。弟子は当初イエスが復活したことに気付かず、イエスがパンを取り祈りを唱えてパンを裂いて渡すと、2人がやっとイエスに気付く―という場面である。カラヴァッジョはこの主題で2枚の作品を残している。 1601年に描いた1枚目は、カラヴァッジョの最高傑作といわれる。2枚目と比べて全体的に明るく、食卓にはパンのほかに果物もあり、人物は4人が描かれ、イエスの後ろの壁には宿屋の主人の大きな影が映っている。一方、今回展示された2枚目は、エマオの宿の食卓にイエスを真ん中に2人の弟子が座り、後ろには宿の主人夫婦がおり、5人の人物が配置されている。その背後は黒く、人々がいまにも闇の中に消えて行きそうな静けさを感じさせる。1作目と比べイエスの顔がやつれたように変化しているのは、カラヴァッジョ自身が追われる身であることを反映していると思うのは、考えすぎだろうか。 カラヴァッジョは気性が荒い粗暴な人物といわれる。今回の企画展で刀剣の不法所持事件など彼にまつわる事件の裁判などの記録6点が展示されているのを見ても、それを推測できる。《ホロフェルネスの首を切るユーディット》(1595-96、今回は展示されていない)に見る、首を切り落とす場面を克明に描いたものなど暴力的なテーマの作品も多く、粗暴な性格がリアリズムと結びついているのではないか―とする解説書を読んだことがある。 カラヴァッジョはローマから逃げたあと、ナポリマルタ島シチリア島と転々とし、トスカーナ地方、あるいはナポリからローマに向かう途中、熱病のため1610年、38歳で死んだという。逃亡中は平穏とは縁のない生活を送ったはずだ。にもかかわらず、次々に後世に残る作品を描いた(彼自身は、そんなことは考えもしなかったかもしれないが……)カラヴァッジョ。何を思いながら筆を動かし続けたのだろう。
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