小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

275 人は何のために生きるのか 根源に迫る汐留のアウトサイダーアート展

東京・汐留の松下電工ミュージアムで24日から「アール・ブリュット/交差する魂」と題したささやかな展覧会が開かれている。アウトサイダーアートといわれ、正規の美術教育を受けていない人たちの作品展だ。同じ会場で開かれたアウトサイダーアートのフォーラムに参加し「人は何のために生きるのか」と考え続けた。

以前のブログ(3月12日)で、滋賀県近江八幡市の「ボーダレスアートNO-MA」の作品展を「衝撃の美術展」として紹介した。スイス・ローザンヌの世界的なアウトサイダーアートコレクションである「アール・ブリュット」と連携した作品展だった。あれから、2ヵ月半。早春から夏へと季節は移ろっている。旭川で始まり、滋賀県に引き継がれたこの美術展が東京にやってきたのだ。

その衝撃を再び経験したあと、アール・ブリュットのリュシエンヌ・ペリー館長の講演に耳を傾け、さらに絵本作家のはたよしこさんと文化功労者の画家、野見山暁治さん(88)とのトークを聴いた。

隣では、通訳の勉強をしているという友人がペリー館長のフランス語を懸命にメモしている。私も通訳者のメモを取っているが、実は冒頭の疑問が頭を占めていた。ペリー館長によると、アウトサイダーアートの作家は障害者を含めて社会から排除された人々で、正規の美術教育を受けず、自分の作品を他者に認めてもらおうとはしない。ただ、心の赴くままに作品を制作するのだという。ペリー館長の説に従うと、彼らは無私の精神で作品に取り組んでいるのだろうか。

野見山さんはこうした人たちの作品について「不思議でしようがない。私たちは何とか自分(の個性)を出そう、絵とは何かと毎日考えているのに、そんなことを考えずに描き続けるとは」と、率直な感想を漏らした。煩悩に明け暮れる多くの人は、日々の生活に追われ自分の生き方を振り返ることがなく年輪を重ねていく。

その1人の私でもアウトサイダーアートの作家の作品に接すると、生きる意味を考えざるを得なかったのだ。野見山さんは「子どものころから絵を描くのが好きで、描いていればうれしいと思っていた」と、自身の絵の原点を話していた。

野見山さんほどではないが、私自身も好きな道で多くの時間を送っているのではないか。そんなふうに考えがまとまったのは、フォーラムの最後に近付いたころだった。隣の友人はそんな私とは関係なく、はたさんと野見山さんのトーク(途中からペリー館長も加わる)を一言も漏らすまいとメモ取りを続けた。

友人は以前「障害者(の作品)は、分からない、相手の心がつかめないと思っていたはずなのに、館長と同行した際に見た一つの作品から、自分の心が鷲づかみにされていることに驚いた」と、ある報告書に記した。ペリー館長も講演の冒頭に「気をつけてください。あなたの自分の中の何かが変化するでしょう」とフォーラム参加者に語りかけた。

こうした新鮮な感動と衝撃を経験するには、汐留まで足を運ぶことだと思う。