小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1074 子どもは風の子 山頭火「雪をよろこぶ児らにふる雪うつくしき」

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子どものころ、「子どもは風の子、大人は火の子」ということわざを聞いたことがある。いまでは、あまり通用しないかもしれない。 その意味は、「子供が冬の寒風もいとわずに、元気に戸外で遊ぶことをいうたとえ」だそうだ。大人は子どものころを忘れて、暖かい家の中の炬燵に潜り込んでいる様子が浮かびあがる。 きのう、首都圏は大雪に見舞われた。小さな庭で、家族が雪だるまをつくった。初めのうち、外へ出るのを渋っていた1歳11ヵ月の小さな家族の一人は、無理やり庭に連れ出されて雪遊びを始めると夢中になった。1時間近く、みんなで雪だるまを2つつくって、家に入ろうとするが、「もう1回」と主張して、庭から離れない。
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雪遊びの味を知ったら、この小さな女の子でさえ、寒さを忘れるのだ。私も子どもの頃、雪が降るのが待ち遠しかった。冬、空がどんよりと曇ると、雪よ早く降れと願った。近所の坂道で、手製の竹スキーを駆使して滑りまくることができるからだ。雪のあとは、鼻水が出て体が冷えてもスキー遊びはやめなかった。それでも、風邪は引かなかった。 しかし、現代の子どもはそうは行かない。もう1回を繰り返した1歳11カ月は一夜明けて、39度の熱を出してしまった。いつもは元気いっぱいで、通称「あらしちゃん」というのだが、以前に引いた風邪が完全に回復していなかったために、それがぶり返したようだ。 そんなわけで彼女は、居間から残念そうな顔をして庭の雪だるまとそこにやってきた野鳥を飽きずに眺めている。庭の外の通学路も雪に覆われていた。私は外に出て小学生が集団登校するのを見守った。みんなの顔は輝いている。やはり、子どもは風の子なのだと思った。
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「雪をよろこぶ児らにふる雪うつくしき」(種田山頭火・大正6年=1917)世界では第一次大戦が続いている。子どもたちは大人の世界とは関係なく雪に喜び、転げ回って遊んでいる。そんな雪景色は美しいと、山頭火は詠った。いつの時代でも、子どもと雪は友達なのだ。
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