小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

災害

1227 機械とシステムが進化しても 大惨事に思うこと

乗客乗員239人を乗せたマレーシア航空機が行方不明のまま40日以上が過ぎた。発見の手掛かりがないまま、このニュースも途絶えがちだが、韓国では16日、全羅南道珍島近くで旅客船「セウォル」号が沈没、現在までの情報では修学旅行のソウル市内の高校…

1226 「ぼく、いいものいっぱい」 異文化で生きる子どもたちの絵本

「ぼく、いいものいっぱい―日本語で学ぶ子どもたち―」(子どもの未来社)という絵本が出版された。海外から日本にやってきた子どもたちを教える日本語学級で、長い間教師をしていた知人の善元幸夫さん(63)が丸山誠司さんの協力で絵本にまとめたものだ。 …

1206 3・11、最前線の初動は インタビュー集「『命の道』を切り開く」

「降る雪が雨へと変わり、氷が解け出すころのこと。昔からこの季節は農耕の準備をはじめる目安」―きょう19日は24節気の「雨水」に当たる。立春が過ぎ、雨水、啓蟄を経て春分へと季節は向かっていく。 2月も残り9日になったが、ことしは未曽有ともいえ…

1206 3・11、最前線の初動は インタビュー集「『命の道』を切り開く」

「降る雪が雨へと変わり、氷が解け出すころのこと。昔からこの季節は農耕の準備をはじめる目安」―きょう19日は24節気の「雨水」に当たる。立春が過ぎ、雨水、啓蟄を経て春分へと季節は向かっていく。 2月も残り9日になったが、ことしは未曽有ともいえ…

1199 風が頬を打つ立春の朝 福島の悲惨な現実

「春は名のみの風の寒さや…」という歌い出しの「早春賦」(吉丸一昌作詞、中田章作曲)を思い浮かべるような、立春の朝である。昨日とは一転して、天気は冬に戻ってしまった。 ソプラノ歌手・鮫島有美子の「四季」のCDには79曲の最初にこの曲が入ってい…

1196 あるジャーナリストの憂鬱な日々 「こんな人がNHKに」

仙台在住のジャーナリスト・松舘忠樹さん(元NHK記者)は、東日本大震災後の2011年12月から被災地の復興の動きを「震災in仙台」と題し、ブログで書き続けている。地道に、丹念に取材したブログは被災地と被災者の姿を追った貴重な記録となっている。…

1167 地球温暖化への強い警鐘 フィリピンの台風被害・COP19の比代表の演説

フィリピンを8日超大型台風30号「ヨランダ」(アジア名ハイエン))が直撃、死者は1万人を超えるという情報もある。被害が大きかったレイテ島は、東日本大震災の大津波を思い出させる惨状が広がっている。 折しも、ポーランド・ワルシャワでは気候変動に…

1155 あるジャーナリストの2年半を迎えての記 裏切られた被災地

「2年半前、あまりの被害の大きさに私たちはたじろいだ。犠牲者の人数もけた違いだった。しかし、この豊かな日本社会だ。ほどなく人々の生活を立て直す力があるはずだ。誰もがそう信じたが、想いは裏切られた。被災地の人々は奥歯に何かがはさまったような…

1145 hana物語 あるゴールデンレトリーバー11年の生涯(11)3・11のこと

2011年3月11日の東日本大震災は私の「個人史」の中で特筆すべき事象であり、同じ思いの人たちは少なくないはずだ。11年という短い生涯だったhanaにとっても、衝撃的な大地震だったに違いない。当時我が家で産後の静養中の長女が留守番をしてい…

1125 神様の贈り物の時間を生きる… 愛犬をめぐる7つの物語

「3歳までは幼犬、6歳までは良犬、9歳までは老犬、10歳からは神様の贈り物」。スイスでは大型犬に関して、こんな言葉があるという。特にこの国が生まれ故郷であるバーニーズ・マウンテン・ドッグは短命であり、文字通り10歳過ぎると、この犬は急速に…

1122 続・旅の終わりに 被災地・気仙沼と陸前高田にて

石川と新潟の旅で私の旅人生に区切りをつけるつもりだった。だが、その直後に東日本大震災被災地への旅の話が舞い込んだ。そうして、訪ねたのが岩手県陸前高田市だった。あらためて書くまでもなく、陸前高田は大震災の津波で甚大な被害を受けた。 市の発表に…

1118 「芸術そして、つながる心と心」 パリで元校長「フクシマの子どもたち」を語る

ことし3月まで福島県の小学校で校長をしていた知人の宍戸仙助さんが最近パリに行き、原発事故の福島の子どもたちについて語った。元校長による、海外出前授業だ。フランスの人たちは、宍戸さんの話にどんな反応を見せたのだろうか。 宍戸さんから、パリの出…

1114 「関白」ゆかりのホテルにて 子どもの歓声戻った大洗

久しぶりに茨城・大洗を訪れた。海岸は白い波頭が目立ち、2年前のあの日(東日本大震災)のことを想像した。大洗の海岸に面する大洗シーサイドホテルに泊まった。このホテルはアマチュア野球界の神様的存在の故石井藤吉郎さん(1924~1999)の生家が…

1110 住む人がいない家に咲く桃の花 福島・飯舘・南相馬にて

6年ぶりに福島県飯舘村に行った。正確には飯舘村を通過して南相馬市に行ったと書くべきか。春爛漫の季節を迎えた飯舘は不気味な静けさだった。花が咲き、緑に包まれた村の姿は牧歌的だ。 原発事故さえなければ、いまごろはあちこちで田植え作業が進んでいた…

1104 ふと見るいのちのさびしさ 福島の滝桜と花見山公園に行く

原発事故がいまだ収束しない福島を旅した。桜前線は既に県北部まで到達していたから、住民たちが避難した地域の桜もひっそりと咲いたはずだ。今回の旅は福島の2つの花の名所を訪ねるのが目的だった。 日本三大桜といわれる三春町の「三春滝桜」と、写真家の…

1102 書き記す者の務め 高橋郁男著『渚と修羅』を読む

私が被災地に初めて入ったのは、大震災から1カ月後の2011年4月16日だった。羽田から岩手・花巻空港に飛び、レンタカーを利用して釜石、大槌、山田、宮古を回った。被災地をこの目で見たいという気持ちを抱きながら、様々な制約があり、ようやく実現…

1100 笑いが止まらないが… 福島の原風景描いた「夕焼け小焼けで陽が昇る」

映画の「always3丁目の夕日」は、舞台設定が昭和30年代の東京・下町だった。日本が敗戦から立ち直り、復興へと歩み、経済の高度成長が始まる時代の貧しくても明るい人々が描かれている。これに対し、小泉武夫の「夕焼け小焼けで陽が昇る」(講談社…

1099 被災地陸前高田の街から 満開の桜の花の下で

東日本大震災によって死者1556人、行方不明217人(2月末の岩手県発表)と、岩手県で最大の被害が出た陸前高田市。高田の一本松の保存問題でも全国的に知られた街だ。最近、この街に住む親類(いとこ)と連絡がとれ、九死に一生を得たことを知った。 …

1094 手ごわい敵を抱えて 南海トラフ巨大地震、固定観念を捨てて

大げさに考えると、日本はこの巨大地震が起きたら国家が破たんし、沈没状態になってしまう―。日本の太平洋沿岸に延びる南海トラフでマグニチュード(M)9・1の地震が起きると、最悪で220兆3000億円という途方もない被害が出るという想定を国の有識…

1094 手ごわい敵を抱えて 南海トラフ巨大地震、固定観念を捨てて

大げさに考えると、日本はこの巨大地震が起きたら国家が破たんし、沈没状態になってしまう―。日本の太平洋沿岸に延びる南海トラフでマグニチュード(M)9・1の地震が起きると、最悪で220兆3000億円という途方もない被害が出るという想定を国の有識…

1092 あれから2年の心模様 旅の空から

江戸時代の俳人・松尾芭蕉は「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人なり」(奥の細道序文)という言葉を残した。「月日というものは永遠に旅を続ける旅人であり、来ては去り、去っては来る年もまた同じように、旅人なのだ」という意味であり、「光陰矢…

1081 小さな劇にすぎなくとも 琵琶湖近くの「故郷の廃家」の物語

「故郷」とはなんだろう。辞書には「生まれ育った土地。ふるさと。郷里」などとある。「東京生まれだから故郷はない」と話す人もいるように、この言葉が地方を強くイメージしていると受け止めていいだろう。 相撲の大鵬死去に関するブログの中で一部紹介した…

1067 2013年の日の出 東北再生へ!の思い

朝、6時55分に目が覚め、これはいかんと慌てて身づくろいをして、犬たちと外へと飛び出した。初日の出を見るためだ。毎年、同じ場所で見ている。歩いて数分の橋の上だ。近づくと、多くの人が解散していた。早足で橋に行くと、太陽が昇りつつあった。 私の…

1066 2012年大みそかの夕暮れ 常識失われし時代に

夕方、妻が1階から叫んでいる。「西の空がきれいよ」と。あわてて、2階からカメラを持って、外へ飛び出した。きょうは、大みそか。この1年、いろいろなことがあった。愛犬のhanaは大病し、緊急手術を受けた。ふだんなら、私も連れて行ってと追いすが…

1063 絵のモデルになりました2 歳末のhanaのつぶやき

お父さんが家族に一枚の絵を見せて「どう、hanaに似てるだろう」と、自慢していました。それが、この絵です。あれ!どこかで見た写真にそっくりだと思いませんか。そうです。この16日のブログに載せてある私をモデルにした絵だそうです。 きょう、お父…

1054 被災地を歩く 原発事故・福島の12月

東日本大震災の被災地は広範囲に及んでいる。しかも、原発事故に見舞われた福島の被災地では復興の道筋が容易に立たない。衆院選挙の公示日の4日から数日、被災地を歩いた。(ことしは9回目で昨年も同じく9回被災地を歩いているので、18回目だ) 5日の…

1053 熟柿の無残な光景 原発事故・福島からの便り

「熟柿」(じゅくし)という言葉がある。赤く熟し、いまにも枝から落ちそうな柿のことだ。そんな美しい写真が福島に住む教育者で知人の宍戸仙助さんからメールで届いた。しかし、メールを読むと、美しい風物詩が実は悲惨な光景であることが分かり、愕然とし…

1044 被災地の製紙工場を見て思うこと 日本とトルコ友好の礎の人

石巻市南浜にある日本製紙石巻工場は、東日本大震災で大きな被害を受けた。被害額は750億円に達したというから気が遠くなるような損害だ。石巻を何度か訪れ、この工場の惨状を見る機会があった。その工場が被災した姿を残したまま操業を再開したことを聞…

1041 被災地にて・石巻2 文人が見た日和山からの風景

東日本大震災で、一番被害が大きかったのは宮城県石巻市だ。震災後、幾度となくこの街を訪れながら、中心部を一望することができる日和山公園に行く機会に恵まれなかった。先週末、その機会がようやくやってきた。 標高が56メートルという丘陵地の公園がか…

1039 セイタカアワダチソウ異聞 被災地で嫌われる黄色い花

この時期になると、全国至るところで「セイタカアワダチソウ」を見ることができる。散歩コースの調整池の周囲にもこの花が群生して咲いている。秋の風物詩になった感があるが、最近、新聞に出ていたこの花に関するニュースを見て、複雑な思いを抱いた人が多…