小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1199 風が頬を打つ立春の朝 福島の悲惨な現実

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「春は名のみの風の寒さや…」という歌い出しの「早春賦」(吉丸一昌作詞、中田章作曲)を思い浮かべるような、立春の朝である。昨日とは一転して、天気は冬に戻ってしまった。

 ソプラノ歌手・鮫島有美子の「四季」のCDには79曲の最初にこの曲が入っている。米良美一編「日本のうた300、やすらぎの世界」(講談社)の「郷愁」の章の中でも紹介されており、101年(1913年・大正2年の発表)という時代を経ても色あせない歌なのだろう。

 歌を聴きながら、その詞の意味をかみしめた。 春は名のみの 風の寒さや 谷の鶯 歌は思えど 時にあらずと 声も立てず 時にあらずと 声も立てず 現代風に訳すと「春とは名ばかりの風の寒さだ。谷のうぐいすはさえずろうとするが、まだその時期(季節)ではないと声も立てない。まだその時期ではないと声も立てない」という意味だろうか。

 24節気をさらに細かく分類した「72候」には、立春の初めに「東風凍を解く」(暖かい風が吹いて、川や池の氷が解け出す)がある。節分の昨日はまさに、そんな一日だった。だが、陽気は続かず、きょうは雪の予報が出ているほど冷え込んでいる。 そんな朝、友人のブログを読んで、心が冷え込んだ。

「置き去りにされた被災者 福島の人さえ知らない悲惨な現実」と題するブログには、原発事故の福島で支援活動をしている福岡百子さん(72)という千葉県のカトリック信徒の話が紹介されていた。

「福島の被災者は捨てられている」「ありえないことが起こっている。あまりにも酷い」「安倍首相の『復興に全力を挙げる』は全くの嘘です」「新聞やテレビがちゃんと伝えていないから、福島の人ですらこの現実を知らないんです」と、電話をした友人に福岡さんはこう語りかけたという。 来月で東日本大震災から3年になる。昨今の新聞(全国紙)やテレビを見ていると、被災地のことはほとんど報道されず、その実情は伝わってこない。そんな中、「残されたのは将来への不安、健康不安と恐怖、そして失望、絶望です」という福岡さんの訴えに胸を突かれた。

立春や頬打つ風に身を縮め

友人のブログ 冬尋坊日記

 (写真は富山湾から見た立山連峰。記事とは関連はありません)