小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1081 小さな劇にすぎなくとも 琵琶湖近くの「故郷の廃家」の物語

画像「故郷」とはなんだろう。辞書には「生まれ育った土地。ふるさと。郷里」などとある。「東京生まれだから故郷はない」と話す人もいるように、この言葉が地方を強くイメージしていると受け止めていいだろう。

 相撲の大鵬死去に関するブログの中で一部紹介した饗庭孝男の「故郷の廃家」(新潮社)は、饗庭の故郷・滋賀県高島市安曇川町の今昔や饗庭家の歴史をたどったノンフィクションだ。

 本の中で「私小説というジャンルがこの世にあるなら私歴史というジャンルもあっていい」と書いているように、饗庭を育んだ故郷と家族・地域の人たちを丹念に描いている。

 饗庭は、この本を書いた理由をこんなふうに述べている。「歴史は空しい。しかしいかに小さくとも一つの家の歴史を辿り直そうとすることは誰にとっても自己確認と証明の一つの方法である。その歴史は、戦国を左右した信長や秀吉がつくり出した状況としての歴史ではなく、その陰に生きた無数の武士や庶民が演じた、眇(びょう)たる目にもとまらぬ歴史である。夥しい大状況の歴史の中の一つの小さな劇にすぎない」

「小さな劇にすぎない」とはいえ、琵琶湖の歴史から始まる端正な文章でつづられた「廃家」の物語は、どの家族にも「大きなドラマ」があることを痛感させてくれる。

 父は、祖父の借金を背負って苦労し、そのために家族は長い離散生活を送り、医師、弁護士になった2人の兄は円熟期に病に倒れて世を去る。 圧巻は、小さな村落のしきたりで営まれた父親の葬儀の場面だ。長老にあたる3人の合議で仕事が手分けされ、男たちが提灯、のぼり、位はい、棺、その他必要なもの一切を手づくりする。

 襖、障子を取り払った広い空間は十数人の村人の姿でいっぱいになる。女性たちは台所でめいめい持ち寄った材料、什器で膳の準備にとりかかる。葬式当日は、役割に従って提灯や赤いのぼりを持ち、8人の僧の後を白無垢の裃を着た著者ら3人の子どもが棺を乗せた木製の台座を肩にかけた綱で支え、前後してかつぎ、玄関からわらじに白足袋という姿で下りるのである…。

 以下、村のしきたりによる葬儀の場面が続き、饗庭は「この葬儀は、村の中心であった饗庭家と、遠い昔から営まれてきた村の習慣とその心性のあざやかなしるしとして私の心にとどまったものであるが、それはこれからもほとんど変わることなく、私たちの時もくりかえされるにちがいない」と結んでいる。

 いま、地方では「限界集落」(65歳以上の高齢者が過半数を超え、農業や冠婚葬祭など、共同体機能の維持が限界に近付いている集落のこと)といわれる過疎化現象が進む一方だ。人口の高齢化と都市への集中によって若者の姿が消え、老人だけの世帯が増えている。

 その老人が亡くなれば住む人がいない空き家となっていく。この本に書かれた饗庭の父親の葬儀の場面は、共同体としての機能が発揮されていたことを示している。しかし、東日本大震災原発事故に見舞われた福島では、唱歌「故郷の廃家」の詩のごとく「荒れたる 我が家に 住む人 絶えてなく」という現実に直面している集落は数えきれない。原発事故の福島では、琵琶湖沿岸とは異質な「故郷の廃家」の「小さな劇」が進行中なのだ。