小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1066 2012年大みそかの夕暮れ 常識失われし時代に

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 夕方、妻が1階から叫んでいる。「西の空がきれいよ」と。あわてて、2階からカメラを持って、外へ飛び出した。きょうは、大みそか。この1年、いろいろなことがあった。愛犬のhanaは大病し、緊急手術を受けた。ふだんなら、私も連れて行ってと追いすがるが、きょうは居間に横になったままだ。「hanaよ、元気になれ」と思いながら、カメラのシャッターを切った。

 ことしも人間の営みのはかなさを感じる事象が多かった。あれほど、東日本大震災で痛めつけられながら、さらに原発事故で福島の人々が辛苦を続けているにもかかわらず、日本の現実は震災前へと戻りつつある。それでいいのだろうかと思う人の声はかき消されそうだ。

 2012年、私は北海道から沖縄までを旅した。日本の風土の美しさを実感した1年であり、被災地では復興の歩みの遅さにいらだちを覚えた。復興予算を流用しながら正当だとうそぶき何の反省もしない官僚たちにはあきれ、ここまで無責任な国になってしまったのだろうかと心が痛んだ。

 先日の選挙で民主党は惨敗し、自民党政権が復活した。リベンジした自民党民主党の政策の見直しをするという。原発政策も変わりそうだ。それが心配でならない。 社会人になったとき、私を鍛えてくれた大先輩は「常識を知れ」と、口癖のように話していた。難しいことはいい、それよりも大事なことは「常識を大事にする」というのである。

 常識が社会人としての基本なのだ。ところが、いまの日本は常識という言葉が通用しない社会になりつつあるのだ。それは日常で人々の姿を見ればだれでもが気づくことである。

 ことしの旅では印象に残る人に出会い、美しい自然に接した。北海道・滝川では小児がんなどの難病と闘う子どもたちのキャンプづくりに全精力を掛けている人の姿に頭が下がった。沖縄・石垣島のサンゴの海はどこまでも青く、生まれ変わったらこんな島で暮らしたいと思ったものだ。 ことし私は24回の旅(宿泊を伴う)をした。そのうち、被災地が9回と断然多かった。

 被災地で出会ったある人の言葉を最後に記す。 「被災地からがれきはなくなりつつあるが、被災地と被災者の心の復興はまだまだなのです」

 追加 今の心境は種田山頭火の句の通りだ 夕焼雲のうつくしければ人の恋しき